第14回 6期生ブログ「時間/空間」

こんばんは!
第14回のゼミでは引き続き『リキッド・モダニティ』の精読と関連することについてたくさん話し合いました
。今回は第3章の「時間/空間」でした。

読み終えてから、今のこの新型コロナウイルスによって人々の時間と空間の使い方、考え方がかなり大きく変わったのではないかと考えていました。
人々はまず「移動時間とは何て厄介だったのか!」ということを、頭ではなく体で実感したのではないでしょうか。頭では「リモートワーク」を理解し、とても合理的なことはわかっていましたが、今まで実際にはそこまで普及していなかったように思います。みんなで満員電車に揺られて、わざわざ出勤していましたし、何事も「直接あることが大事」とされていました。しかし、強制的にリモートワークをしなければならなくなったことにより、リモートワークがここまで機能すること、移動時間も交通費もここまで削減できてしまうことに気づいたのです。これは電車が生活の根幹にあった都市部の人間や会社にとって、かなり大きな事実であり、社会が変わる予感がします。

さらに人と人との関わりが薄れ、「自己責任」がより一層強まる社会になってしまうのでしょうか、、、
そうではなく、仕事や学校といったものに何らかの理由で外へ出られない人々が、家でも参加できるようなポジティブな面が進歩していってほしいなと思いました。

第13回 6期生ブログ「オリエンタリズム」

梅雨明けを迎えた途端、セミの声が鳴り響き、焼けるような暑さに日々悲鳴を上げています。

だいぶ時間が経ってしまいましたが、2週間前のゼミではポストコロニアルとオリエンタル研究について取り扱いました。

「東洋(オリエンタル)」と「西洋(オクシデント)」は特定の地域を指す言葉ではなく、もっと概念的なものである。そしてこの2つの概念の関係性は対等ではなく、複雑なヘゲモニーを包含している。そして、西洋人は自分たちのアイデンティティを確立させるために、東洋という概念を用いた。

つまり、東洋の西洋に対する「憧れ」と西洋の東洋に対する「憧れ」は意味合いが異なるというものである。
分かっていたはずの話なのになぜか悲しい気持ちになった。複雑。

私はタトゥーについて研究したいという想いがあります。
日本の若者のタトゥー文化は海外の影響を受けている部分もあるのではないかと推測していましたが、これにもオリエンタリズムに関連してくるものなのでしょうか。
日本人が英字レターのタトゥーをかっこいいと考え入れるのと、西洋人が漢字のタトゥーをかっこいいと考え入れるのでは意味合いが違うのでしょうか…

第12回 6期生ブログ「人間」から「女性」へ

久しぶりに雨のない日を迎え、梅雨明けはもうすぐなのではと淡い期待を寄せる今日この頃です。
梅雨が明けても気軽に遠出はできませんが…
初めての日曜日開催で行われた内容は「ジェンダー、セクシュアリティ、クィア研究」について。

最近ジェンダーの授業を履修していることもあり、色々思うこともあります。
今回の授業ではジュディス・バトラーの「ジェンダートラブル」を扱いました。
話が進む中で、「そもそも男女を規定したのも、男女の枠組みで勝手に人を判断しているのも人間なのではないか」(意訳)というところに行きつきました。

ここで思い出したのが女子校時代。
表象作品の影響かわかりませんが、女子校というと「お嬢様」「女性だけだから陰湿そう」といった印象を持たれがちです。
これは断じて違うと女子校出身者の大半は口をそろえて言うでしょう。
体育祭では必死になりすぎた結果脳震盪起こして保健室に運ばれたり、
学園祭の中夜祭では盛り上がりすぎて体育館の床が抜け翌日からの公演ができなくなったり、
多分世間の一般的なイメージからはかけ離れた女子校でした。
(あまり書きすぎると学校名がバレてしまう…)

しかし、ここで何度も「女子校」と連呼をしていますが、女子校時代「女性」であることを意識したことはほとんどなかったように思います。
なぜか。「男」と「女」というような二項対立として捉えられるものは、片方が存在しないともう一方も存在しません。でも女子校は(生徒は)女子しかいないので、この二項対立は成立しません。結果、私たちは「女性」ではなく「人間」だったのです。

女子校育ちはよく「温室育ち」と言われることがあります。
この意味は社会に出てよーーーーーく分かります(笑)
「人間」から「女性」にならなくてはいけないことを端的に表している言葉だと感じます。

p.s.
結局この話も男女の枠組みありきで話しているので枠組みにとらわれないのって難しい…

第10回 6期生ブログ「自由とは何か」

こんばんは!本日レジュメを担当しました小野寺です。
『リキッド・モダニティ』を読み、4時間半ほどのゼミとなりました。
4時間半はゼミだとあっという間です。アルバイトだと時計ばかり見てしまうのに不思議です。

最後にみんなで話し合った「自由とは何か」について、とても面白い議題だなと振り返っていました。
そもそも、「自由」なんてないのではないか、と思うようになりました。どんなに楽しい時間を過ごしていても、完全な「自由」というものは訪れないし、責任や何かの義務を貸されていない子どもだってある意味「家族」や「弱き存在」という制限がかかっていて完全な自由ではないのではないかな、、、と。
そう考えるとその中でも自分がより納得できる「制限」の中で生きることができる人が「自由」に最も近い存在なのかな、と思います。絶対に生きる上で「制限」というものからは逃れられないのであれば、その「制限」がいかに自分にとって優しく、許容できる内容であるのかが大事だと思いました。(少し消極的な自由ですが)

私はどのような制限下なら「まあいいだろう」と思えるのかを考えて、自分にとっての選択肢を増やしておこうと思います。

第9回 6期生ブログ 「働くこと」の価値

3週に1度の理論を学ぶ日。
理論を学ぶと生きやすくなるという人もいるが私はいつも怖くなる。
新しいものを知る怖さなのか。でも無知の方が怖いとも思うのに。
見たくないものまで見えてしまう気がして、
新たな見方を手に入れたのにそれを無邪気に使えず、
視野が広がるはずなのに視野が狭くなったような不安に陥る…

まだ言語化はできないのですがいつもそんな気持ちで理論を学ぶ回に臨んでいます(笑)

今日のテーマはマルクス主義とカルチュラルスタディーズ。
その中で出てきたのが貨幣経済という仕組み。
貨幣経済であるがためにその価値を歪められてしまっているものはたくさんあるのではないかと思いました。

例えば、娯楽。今回のコロナ対策でも経済が優先され、娯楽産業が後回しにされている印象を受けました。私は、ビジネスを意識していないアートが好きです。例えば、道端の落書きだったり、学生の展示だったり。純粋に表現したいものを表現したい形にしてできたものに魅力を感じます。

もしかしたらこれも貨幣経済への抵抗なのでしょうか。

もう1つはボランティア活動。ボランティアの形態はさまざまですが、無償で本人の意志で参加することが多いように思います。この場合ボランティアは無償労働者とは言えますが、こき使っていい奴隷ではありません。また、お金が発生しない分、募集する側と参加する側の信頼関係が重要になってきます。しかし、なぜかここを取り違えて「ボランティア」という言葉を、その場の都合のいいように解釈している場面を目にすることがあります。

これも貨幣経済の影響なのでしょうか。
賃金でしか人の労働力は判断されないのでしょうか。

どちらの例も「働くこと」と比較すると社会では重要視されにくいものだと感じます。

現代では電子決済やカード決済が多くなり、値段を視覚化された量として見る機会も少なくなりました。また仮想通貨のような新たな概念も生まれました。貨幣において国家の括りがなくなるのは近い未来なのかもしれない…貨幣の概念も変わるのではないかと期待したいです。(期待なのかわからないけれど)

第7回 6期生ブログ「面接」

こんばんは小野寺です。
地下ゼミは毎回3時間コースが通常運転になってきました。本日もお疲れ様でした。
レジュメの担当は私でしたが、具体例をどの事象に関しても言えるように意識して授業を進めました。
私もブルデューは階級の乗り越え方を説明してくれない点はあまり好きではありませんが、文章はとても面白いし興味がある内容なので好きです!

ゼミの中で雑談しようとしていた話に関して書こうと思います。
私は就職活動の中で「小学生の頃の話から教えて」と言われた面接が二つもありました。一般的な志望動機や学生時代に力を入れたことを聞かれるのではなく、いわば「自分の人生」について聞かれるものです。(南房総ゼミのインタビューをされているような気分でした)
小学生の頃から振り返って根掘り葉掘り聞かれるのですが、私が印象に残った質問が「ご両親とあなたは仲がいい?」「ご両親はあなたの選択に関してどんな意見を言ってくる?」というものです。この質問はどう答えるのが正解なのでしょうか。私は本当に両親と仲がよく、両親は私の選択に異議を唱えたことがないのでその通りに面接で答えました。しかし、もし両親と関係がとても悪かったり、これまでの人生が両親によって決められていたような人はその通りに答えても良いのでしょうか?答えることによってどういった判断がなされるのでしょうか?家族との関係が就職活動に関係があるのでしょうか?
この「人生面接」にはとてもモヤモヤが残りました。『ディスタンクシオン 』によれば、この面接にはその人のハビトゥスを見出すのにきっと意味のあるものなのでしょうが、就職活動において、「自分のせいではない、環境や生まれ」によって判断されるのは違うのではないかなとも思いました。
会社側も欲しい人物像はきっとあるでしょうから、その人の人柄をあぶり出す作業は必須ですが、なんだかもやっとしました。
私は就職先に今とても悩んでいて、自身のハビトゥスに従っても決めきれない決断というものがあることを人生初体験しています。悩んでも悩んでもわからないので、ドラえもんのもしもボックスでそれぞれの会社に入った自分を見て決めたいです。

第5回 6期生ブログ「大学とは?」

今回のゼミでは『ディスタンクシオン』第2章を読みました。またまた難解な文章でしたが、皆さんお疲れ様でした。この章はまともに読もうとしたら何年もかかるタイプの予感がした途端、流し読みを始めてしまいましたレジュメ担当の宮本です。

細かな内容にもかなり深くまで取り上げ議論したので「何ページにこれがある!」「いや、何ページにはこう書いてあるぞ!?」「!?」という感じに、間違い探し大会のようになりました。本当にお疲れ様でした。ですが「場」「ハビトゥス」「慣習行動」「文化資本」「学歴資本」など主要概念の定義がしっかりとでき、共有することができたと思います!

後半では大学の価値下落問題に関して深い議論をしました。先生からご紹介いただいた世界各国の大学事情は興味深かったです。比較的楽に大学に入れる外国を羨ましく思ってしましたが、それがゆえに引き起こされる別の問題もたくさんあって.. .と、一筋縄ではいかない大学と就職の関係性や、学歴問題などに頭を悩ませた時間でした。

そして、大学の意義とは?学歴の意義とは?というまた根本的で壮大なテーマについても話し合いました。学歴を取るため、就職するために大学に通うのでしょうか。違う!と叫びたい私ではありますが、現実、学歴がないと就職にも関係してくるし、と複雑な問題です。第6期ゼミは単位のない自主的な集まりになっています。そんな、まさに大学のシステムから逸脱したこのゼミは、大学とは?学歴とは?という大きな問題を考えていくのに、まさにピッタリな場所ではないでしょうか!というわけで、心の底に、なぜ大学に行くのか?という問いを抱えながら、これからもゼミに参加していこうと思います。

ちなみに、私の暫定的な答えのようなものですが…国際日本学部は「縁日のようだ」と、入学してすぐにある先生から言われました。美味しいところをつまんで食べて、それで終わり、と。私はとてもショックを受け、その日から専門的な知識を身につけよう!と決め、今ここまで来てしまいました。この状況は情コミにも当てはまると思います。エセ?リベラルアーツ的な学部は、様々な興味分野を自由に学べる点ではとても楽しいですが、その人の意欲次第でどうにでもなってしまうものです。そんな国日の風潮に巻き込まれたくない!一心で四年間過ごしている私ですが、大学では集大成の論文を生み出したいという気持ちがあります。大学に通うのは、そうやって、自分なりの道を自分なりに探し、何かをやり遂げていくことなのではないでしょうか。それは学問である必要はないと思います。(授業をサボるのは反対ですが)そして、大学では様々な出会いの場が開かれています。基本的にはモグることもできるわけだし。これはカリキュラムに沿った今までの教育とは全く異なるものだと思います。その出会いの場をどう活用していくかは自分次第。大学はとても厳しい場でもあり、試される場でもあり、受け入れてくれる場でもあると思います。オンライン授業でそれが非常に難しくなってしまったのが、残念でありません。だからオンラインの中でも同じように学費を払うのは今でも(声明が出ても)納得できません。まず図書館の遠隔利用が教員と院生にしか許されていない現状にキレそうです。どうしてくれるんだ!って感じです。話が逸れました。

どんな四年を送っても同じように与えられる学位を、どれほど厚みのあるものにしていくか。誰にも見ることはできないけど、自分だけは見える形で膨らませたい。そして膨らんだ学位をぎゅっと抱きしめて、卒業していきたいと思います。(しかし、オンライン授業で完全にしぼみつつあります、ピンチ)

第4回 6期生ブログ「髪型」

こんばんは、小野寺です。
本日第5回目のゼミナールではブルデューが著作した『ディスタンクシオン』の第一章を精読し、私がレジュメを担当しました。
正直、先週、先々週が就職活動のピークだったのではないかと思うほど忙しく、瀕死状態で読み、レジュメを制作しました。とても難解で文量も多く、どのようにまとめれば良いのか手探りでしたが、読んでいく中で自分自身の疑問や共有して話し合いたいことをたくさん発見したので今日のゼミが楽しみでした。
実際には精読したものをどうやって簡潔に説明すれば良いのか分からず、本の内容にはさらっと触れて、アツい議論をひたすら交わすことになりました。結果として私がモヤモヤしていたことに対して宮本さんや山田さんが納得させてくれるような意見をたくさん出してくれて今は清々しい気持ちです。また、二人の意見自体もとても面白いものばかりで「人はきっとマジョリティーの中のマイノリティーになりたいのだ」というのは自分もまさしくその通りであると思いました。
本の内容に絶望していましたが、二人からでた意見の「本の中と私たちが生きる今は全然状況が違うから、絶望しなくて良い」という言葉を噛み締めて、第二章からは希望的観測が持てるような心持ちで読み進めようと思います。また、先生から教わった、「大きい建物を説明するつもりでノート2ページ分にまとめる」ということもやりつつ、まとまりの繋がりに意識をして理解を深めたいです。

授業の中でそれぞれの「趣味」について発表してもらいましたが、私が一つ言い忘れていた趣味がありました。それは「自分の髪型について悩むこと」です。私は年中無休で自分の髪型について考えています。母からも「もう毎日髪型の質問してこないで!」と言われるほど病的な趣味(?)です。実際に頻繁に美容院に行く人間ではありませんがとにかく毎日髪型について悩んでいます。(最後に美容院に行ったのは去年の7月です)
現在の私の中でのホットな髪型はショートカットにするか前髪を伸ばして「ワンレン」にするかどうかです。ショートカットは希少価値が高い上に楽チン、しかしワンレンは私の中での強い女性像に当てはまるのでどちらも捨てがたいです。やはり髪型というものも「自分を表すツール」であり、「理想の自分」に近づくことができる表現の一つであると思います。
実は今日のゼミを終えてから気がついたことが、このメンバーの中で私以外の4分の3が前髪なしのワンレンヘアなのです!!!
やはり地下ゼミ生として、強い女性になるためにもワンレンにすべきなのでしょうか。就職活動が終わるまでに決断をしたいと思います。
皆さんは私の髪型についてなど本当に興味のない話題であると思います。お付き合いいただきありがとうございました。

第3回 6期生ブログ「やりたいこと」

こんばんは。6期生の山田です。
(先週はゼミが休みだったので)先々週は、言説分析について学びました。
「桃太郎を題材とした論文の論点を考える」というアクティビティから始まり、批判理論にはどのようなものがあるか、言説分析とは何かについて教えていただきました。また、最後に行った「なぜ私は論文を書くのだろう?」というテーマに対する議論は、人それぞれ考え方が異なり、興味深かったです。

さて、本日のゼミからブルデューのディスタンクシオンを読み始めるということで、私も「趣味」について話したいと思います。
(※本の内容とは関係ありません)

私は、長い間趣味を持たずに生きてきました。

とは言っても、好きなことがなかった訳ではなく、趣味はあくまでも「人に言うものではない」という認識が自分の中にあったからだと思います。

人には他人と共有したい趣味と自分の中で大事にしたい趣味と2種類あり、長らく前者の方を私は趣味だと考え、自分には趣味がないと思っていました。

話は変わりますが、最近ぐるぐると考えた結果、
やりたいことを考えるのが趣味なのかもしれないと思い始めました。
目の前のことをこなす毎日に陥っていると感じると、やりたいことを考える時間を作ります。

きっかけはある年の大晦日。
毎年恒例の年末の番組にも飽きてしまい、退屈を紛らわす術を探していました。そんな時にSNSで見つけたのが、「やりたいことを100個書き出す」というものでした。

年を重ねると、やらなきゃいけないことに追われ、「やりたいこと」を追求するのが難しくなるように感じます。
これ、正月ボケの頭にとても良い刺激をもらえます!やってみるとわかるのですが、純粋に「やりたいこと」を考えるのって意外に難しいんです!!でもワクワクします!!

ぜひこのブログを読んで書いてみたという方がいましたらご連絡ください(笑)
そして一緒に実現させましょう!!

第2回 6期生ブログ「思い出」

こんばんは。6期の宮本です。
第三回ゼミは論文における「序章」の書き方を先生の論文を例に学びました。なかなかリアルな論文作成の裏側が聞けて、恐怖とワクワクが高まっております。卒論要旨の読み合わせでは、それぞれの鋭い質問が飛び交いスリリングな時間を過ごせました。このように各自の卒論について意見を交わすのはしばらく実施しないということですので、ここからどれだけ進化できるか楽しみであります。

初回のブログということで、簡単に自己紹介を兼ねて、私の所属している国際日本学部について書きたいと思います。といっても、3年次は多くの時間を駿河台キャンパスで過ごしていました。まず、街として中野より御茶ノ水の方が好き。図書館も大きいし。人も多くて面白い。あと図書館も大きいし…(この通りすでに地下に潜っています)…国際日本学部について書こうと思ったのですが、ああ、ネタがない…。

ということで別の話題で自己紹介をしますね。

私はラジオが大好きであります。ラジオ局ならなんでもいいということではありません。周波数は81.3。天下のJ-WAVEです。聴いてみればすぐわかるのですが、J-WAVEはとても洒落ています。気取っています。なんだか嫌な感じです。「ていねいな暮らし」って感じがします。散らかった部屋でパジャマで聴いてると、自己否定的にもなってしまいます。全体としてそんな感じがするJ-WAVEですが、高校3年生の私の救いになってもくれました。

日中はやはり働く人や「主婦」向けではありますが、夜になるとグッと学生向けの番組になります。今はもう終了してしまったのですが、私が高校生の時に「THE HANGOUT」という番組がやっていました。

https://www.youtube.com/channel/UCK2BwH9JimJNK3SmRF5ynIA
公式のYOUTUBEに音源が残っています。

日替わりで「ナビゲーター」(J-WAVE用語です。番組担当者のことを指します)が変わるのですが、確か月曜日、あれ水曜だったっけ…いや、月曜日に評論家の宇野常寛さんが担当なさってたんですね。これが受験勉強にどん詰まりの私の心をぐっとつかんでしまい、毎週欠かさずに聞くようになりました。映画やアニメドラマのことや時事問題のことなど、独特の視点で早口で喋り立てる宇野さんの賢さに、クラクラでした。今だから笑ってネタにさせていただきますが、そんな宇野さんに毎回のようにメッセージを送っていました。

そしてまだ私にも青春があった高校三年の春、絶賛片思い中だった私が「告白するかしないか!」という重大な決断を相談した相手も宇野さんでした。宇野さんはもちろん「告白するべき」と答えました。そりゃそうよね..。そのときの私はもう宇野さんのいうことは絶対的だと信じていたので、アドバイス通りにその相手に告白しましたが、フラれました。(てか相手に彼女いたんですね、知らなかったんですね私)

なんだか悔しかった私は、フラれたことも宇野さんに報告。そしたら彼、なんて言ったと思います?「何十年か後に再会してチャンスを狙う」。青春は今だけなんだ…もう終わってしまったんだ…全てが吹っ切れた私はラジオを消して、勉強に勤しんだのでした。

ということで、いろいろな思い出が夜のJ-WAVEにはあります。洒落た感じがいまだに嫌だけど、あんなことやこんなことの思い出の「腐れ縁」によって、私はやっぱり他局に移れず、今日も81.3に合わせてしまうのでした。

自己紹介のつもりが思い出話に…。未来のことを話すのは苦手ですが、過去のことを語るのは好きです。宮本でした。