4年春期第9回

こんにちは。春期第9回のブログ担当、室です。
今回は、『Film Analysis』第12章・ジェンダー批評を扱いました。

ジェンダー批評では、映画の中に描かれる性別に関する「主張」に着目します。
『Film Analysis』第12章の中では、アメリカ映画『ミルドレッド・ピアース』(1944)を取り上げ、作中の性別役割分業に対する主張を抜き出しています。
第二次世界大戦末期に公開されたこの映画における主張は、「女性は伝統的な女性役割に従うべき」というものでした。
以下、今回のレジュメです。

第9回_相田

また、章末の課題では『レザボア・ドッグス』(1992)を扱いました。
作品内で「男らしさ」がどのように描かれたのかを議論したほか、第5章「語り」で扱った『テルマ&ルイーズ』(1991)を用いて、「女らしさ」との比較も行いました。

ジェンダー批評については昨年から何度も議論してきましたが、そのたびに新しい問題が浮かんできます。
今回の議論を通じて、ジェンダーの描かれ方というのは、多くの作品において議論ができる問題であると改めて感じました。

大学生活最後の1年も、前半が終わりました。
内藤ゼミでは、作品を用いて議論を行うのは4年前期が最後です。
後期は卒論に向けた時間になります。
ゼミ生同士協力し合い、乗り越えたいと思います。

春学期13回 4年ゼミ

こんにちはー。13回担当の相田です。
最近部屋の窓にすだれをかけてみました。クーラー要らずの(そもそもない)相田家ですが、風通しがよくなりより快適になればと思います。

というわけで、今回は前回消化しきれなかった「地獄の黙示録」の分析を行いました。
今回の議論で印象的だったのは、完全版で追加されたフランス人との会話のシーンです。

ウィラードがカーツへ会いに行くまでの途中で、ウィラードは農場を経営しているフランス人に遭遇し、歓待を受けます。
このシーンは完全版に追加されたシーンですが、何故このシーンは追加されたのか議論を少し行いました。
そもそもベトナム戦争という戦争の背景や一連の流れが発表時にもう希薄になってしまったのではないか、だからこそベトナム戦争に関しての知識を補完するために、このシーンが追加されたのではという意見が出ました。
実際、世界史を勉強していないゼミ生の中には、ベトナム戦争の背景やそこに潜む社会主義、資本主義の対立をいまいち把握できていないメンバーもいました。このことを考えると、フランス人との遭遇シーンは、足りない知識の補完として追加されたのかもしれませんね。

前回はっきりしなかったウィラードとカーツ、軍上層部の立場に関しては、1週間映画を確認することではっきりできました。また、保守やリベラルという考えのオンパレードでしたが、何とか理解できた気がします。

もう大学生活最後の一年の半分が経過しようとしています。
大学生のうちにできることは全部しながら、ちゃんと単位を回収していきたいと思う所存でございます…

春学期第6回 4年ゼミ

こんにちは。
第六回ブログ担当の相田です!!
4年になり、40000字の論文作成のため、そろそろ動き出さないといけなくなりましたね…
頑張っていきたいと思います!!

というわけで今回の授業はFilmAnalysis第二部第9章、構造主義批評について議論を深めました。
構造主義批評とは、物語などの作品には何かしらの統一的な構造が存在し、その構造が服装や言葉遣いといった文化的コードとして表出していることを明らかにする批評のことです(昨年度の授業の復習ですね)。

この考え方を用いて今回分析したのが、A.ヒッチコック監督によって1959年作成された「北北西に進路をとれ」です。
この作品は、ざっくりと説明すると青いスーツに身を包んだ「アメリカのビジネスマン」であるソーンヒルが、ロシアのスパイやアメリカの諜報機関に振り回される作品です。
この作品で私達は、空砲ではなく実際に銃を撃っているのがアメリカの諜報機関しかない点に注目しました。この点は、他のソーンヒルやロシアのスパイは空砲という虚構の力でしかなく、実際に力を行使できるのはアメリカの諜報機関でしかない、ということを表象しているのかもしれません。

なんにせよ、ゼミ生全員の共通点として、アメリカの政治制度や常識に疎いことが発覚しました…
ちょうどいい機会ですし、皆で予習しておきましょう。

春学期第8回 4年ゼミ

こんにちは、3期生の横野です。

今回は前田くんが「イデオロギー批評」について発表してくれました。

そして、今回は「ダイ・ハード」を題材として取り上げました。
そのなかでも
・隠れたヒーローとしてのジョン・マクレーンについて

そして、前田くん自身が疑問った事・気付いた事として
・日本映画におけるイデオロギーはどんなものがあるか
・隠れたヒーローの存在は映画だけでなくゲームにもある
・何故ジョン・マレーンは刑事である必要があったのか
と言ったことが議題にあがりました。

ジョン・マクレーンは作品中では勝手に動くことで結果的に捕らわれた人々を救いだします。普通であれば勝手に動くことでより危険にさらす存在のため、批判される存在となるはずですが、作品中では一部の人間には認められる存在として描かれています。ここから、ジョンは富など目に見える形で価値を与えられない労働者階級の人々の自尊心を保つための存在として描かれていることが分かりました。
ちなみに、日本映画だと以前に題材として用いた「天国と地獄」が比較しやすいのではないか、という話になりました。

「天国と地獄」ではジョンのように一部の人間から認められる存在かつ労働者という面から、隠れたヒーロー=誘拐犯なのではないか?という結論に。
また、この作品では警察が好意的・親近感のある存在として描かれており、当時の日本のイデオロギーが表れていると分かりました。

そして、ジョン・マクレーンが刑事である必要性については「警察は労働者階級を表しやすい存在である」からではないだろうか?という結論になりました。

個人的には「最後のシーンで妻が仕事の功績として得たロレックスを外すシーン=女性は最終的に仕事を捨て、家庭に入るべきというレーガン・デモクラッツの思想が表れているように思う」という相田くんの指摘がとても印象に残っています。

3期生ではジェンダーやフェミニズムに関心がある人が多いこともあり、男女の差異に関するシーンで面白い指摘をすることが多いんです。

苦しみながらではありますが、少しずつ指摘が鋭くなってきているので毎回のゼミが楽しみになっています。

次回は「ジェンダー批評」について映画「レザボア・ドッグス」を用いて議論します。

春学期第7回 4年ゼミ

こんにちは!
今回は、第7回ゼミについての記事です。ブログ担当は提中です。
今回は、『Film Analysis』第10章・心理学的批評についての議論を行いました。
発表担当は室さんでした。
以下、今回のレジュメです。

第7回

さて、今回は、ジョナサン・デミ監督の『羊たちの沈黙』(1990)を取り扱い議論を行いました。
実際に映画で気になったシーンを確認しながら、議論を行いました。
今回、教科書で扱ったのは、心理学批評でしたが、この映画は、「男」になることで成長した主人公・クラリスや、女になりたい猟奇殺人犯・ジェーミーが描かれているということもあり、ジェンダーに関する問題も議論に上がりました。クロフォードとレクターという二人の父親的な存在を得て、理性や意識で動くようになり、「男性」になったことで成功した主人公・クラリスの描写からは、社会の中で活躍することが出来るのは、女性ではなく、男性でなくてはならない、というようなジェンダーの問題が感じられます。また、女性になりたかったジェーミーが、最終的には殺される、という描写からも、「男性」は「男性らしく」いなければならず、そこから逸脱したものは排除されるべきだというジェンダーの問題が見て取れます。
議論では、以上のようなジェンダーに関する問題が上がりましたが、心理学的批評では、「父親」や「母親」という存在が人間の精神形成にとって重要であるという問題も扱っているため、ジェンダー批評との間に関連があるのではないか、ということも議論に上がりました。

4年のゼミ生は、去年の論文でジェンダーについて扱った人が多いため、どうしても議論がジェンダー寄りになってしまいがちです・・・(汗)

次回のゼミでは、ジョン・マクティアナン監督の『ダイ・ハード』(1988)を取り上げることになりました。

春学期第4回 4年ゼミ

こんにちは、4年の横野です。

今回は『Film Analysis 映画分析入門』の第4章「アートディレクション」・第5章「語り」について分析を行いました。

今回使用したレジュメはこちら↓

 

第4回_4年ゼミレジュメ

 

今回は映画「テルマ&ルイーズ」を挙げ、各々で気になる点をチェックし議論を行いました。

 

第4章「アートディレクション」では、作品中の音響・服装・台詞(口調)が議論に上がりました。

作品中では音響がほとんど入りません。音響が入るのはテルマとルイーズが車に乗っている時のラジオから流れる音楽だけです。「何でだろう・・・」とゼミ生で議論になりましたが、映画通の前田くん曰く現代の映画作品のようにBGMがたくさん入っている作品というのは近年になってかららしく、それまでは音響に頼らず作品の画にこだわっていたとのこと。うーん、映画って奥が深いです。

また、「テルマ&ルイーズ」ではテルマとルイーズの二人が逃走を続けている間にどんどん服装が変化していきます。冒頭では小綺麗で山に行くとは思えない格好をしていたテルマが終盤には腕や足を出し、顔も埃まみれになっています。また、控えめな発言をしていたにも関わらずどんどんと汚い口調になったり、思い切った発言をしたりするようになっています。このことから、開放的になっていく女性像・自由を追い求めて行動している女性像が表現されているのではないかという結論になりました。

ちなみに、アートディレクションには色彩についての項目もあったのですが、前田くんが「これは日常生活にも見られるんだ。『水族館にデートに行くと別れる』っていうジンクスがあるでしょ?あれって、水族館は青い照明だから顔が青白く見えて楽しくなさそうに見えるからなんだよ・・・。だから俺は気をつける。」といったことを発言し、ゼミがほっこりした空気になりました(笑)4年になってよりゼミ生が仲良くなったなと感じた瞬間でした。

第5章「語り」では、映画分析入門に書かれていたウラジーミル・プロップによる物語の「機能」リストに当てはめ、これまでの冒険物語とどう異なるのか、主人公が女性に変化したことによる相違などについて話し合いました。

プロップの物語リスト上では英雄が帰路につき、誰かにより救助されるというリストがあります。しかし、「テルマ&ルイーズ」では帰路に戻ることは無く最後まで逃走を続けます。また、救助しようと手を差し伸べる人物も現れますがそれを実現するには至りません。そして二人は崖から飛び降りてしまいます。

議論中、この「帰路に戻らないこと」「飛び降りる結末」は、悲しいことではなく本当の意味での「自由」を求めた結果なのではないか?という意見が出ました。

その意見を基に、普通であればテルマとルイーズが死んでしまったという結末ではあるが、これまで夫などの男性に抑圧された存在であった二人が自分達の意思で行動し、抑圧する存在から永遠に逃れられたという意味で自由になったという結論に至りました。

やっぱり映画って奥深いですね。これまであまり深く触れてこなかったジャンルなので少し苦労しています・・・。学生生活の年なので、思い出作りとして今年度中に100本映画を見ようと心に決めました。劇場にも足を運びたいです。では、また!

春学期第3回 4年ゼミ

こんにちは。今回の執筆担当の室です。
前回に引き続き、『Film Analysis 映画分析入門』から「第2章・カメラワーク」「第3章・編集」を扱いました。
以下、今回のレジュメです。発表担当は前田くんでした。

第3回

前回同様、今回もテキストの課題に取り組みました。
扱ったのは、第二章の課題になっていたアルフレッド・ヒッチコック監督の『鳥』(1963)です。
今回の課題は、「物語の内容を、カメラワークがどのように支えているか」というものでした。
議論の結果、家庭の支配者が母親のリディアから、息子のミッチに移る中で、画面の支配者も母親から息子へと変化することがわかりました。
はじめはカメラがリディアの動きを追っていたのに対し、物語後半ではミッチの動きに合わせてカメラが移動するようになります。

前回は、事前に鑑賞せずに課題に取り組もうとしたため、分析ができずに終わってしまった点もありました。
そのため、今回は事前に鑑賞することを宿題にしました。
映画の物語をしっかり把握した状態で課題に取り組んだため、他のシーンとの比較などもできるようになるなど、議論を進めやすくなり、より理解が深まりました。

次回は、『テルマ&ルイーズ』(1993)を議論で扱うことになりました。
毎週映画を鑑賞するのが習慣になりそうです。

春学期 第2回4年ゼミ

こんにちは。今回の執筆担当は提中です。
今回から本格的に4年生のゼミが始動しました。
昨年度は3年生のゼミの活動内容についてのみ報告をしていた本ブログですが、
今年度から4年生も活動もこちらのブログにて報告をさせていただくことになりました。
3年次には、廣野由美子著『批評理論入門』をテキストとして使用し、
小説技法や批評理論を学んできた私たちですが、
4年生ではマイケル・ライアン、メリッサ・レノス著、田畑暁生訳『Film Analysis 映画分析入門』をテキストとし、映画の技法や批評方法について学んでいきます。

以下、第2回ゼミのレジュメです。今回のゼミの内容について詳しくはレジュメをご覧ください。

第2回_4年ゼミレジュメ

今回は、『Film Analysis 映画分析入門』の序章「映画における意味」と第一部の第一章「構図」について議論を行いました。第一部では主に映画の技巧について学んでいきます。
第一部第一章では、映画技巧の「構図」について詳しく説明されていました。
登場人物の位置関係や占める割合などの構図によって、人物間の上下関係や支配関係が描かれている、ということでした。
『Film Analysis 映画分析入門』には映画をみて、分析を行うという課題があるのですが、
発表担当であった室さんがDVDを借りてきてくれたため、実際に映画を流しながら、
今回の内容を使って分析を行いました。

今回は、『ガス燈』(1944)の25:50~27:00のショットの分析をしました。
課題は、フレーム内のナンシー(家政婦の女性)とグレゴリー(雇用主の男性)、ポーラ(グレゴリーの妻)をフレーム内の分割のされ方から比較する、というものでした。
議論では、グレゴリーとポーラは対等な位置関係であるのに対し、ナンシーとグレゴリー、ナンシーとポーラがフレーミングされる際は、常にナンシーが画面下部に配置されるということから、ナンシーがグレゴリーやポーラに比べ、低い階級にいるということが構図から見て取れる、ということになりました。
また、ナンシーとグレゴリーが鏡越しに会話をするシーンがあるのですが、
このシーンでナンシーは鏡に映された姿でしか映りません。これは鏡=フィルターを通して見る、ということから、雇い主と雇われ主の関係が現れているのでは、ということも議論に上がりました。

今回の議論は、テキストの内容を実際に映画を見ながら、実践し、分析を行ってみるという形になったのですが、今後のゼミでもこの形式が恒例となりそうです。私は昔に公開された名作映画をあまり見てこなかったので、ゼミを通して様々な名作映画に触れていくことができたらいいなと思っています。

では、また次回お会いしましょう。

プレゼミ合宿 in南房総

こんにちは。今回ブログ執筆担当の室です。

今回の記事は、二月に行ったプレゼミ合宿の報告です。

 

2月25・26日に、一泊二日のプレゼミ合宿を行いました。

開催場所は千葉県南房総市。ゼミ生だけでなく、卒業生や、株式会社ココロマチからも2名に参加していただいた他、南房総市の職員さん、2日目の会場であるヤマナハウスのメンバーのみなさんなど、多くの方に参加してもらい、賑やかな合宿になりました。

新三年生にゼミの活動を理解してもらうことが目的の合宿でしたが、リバティータワーの一室で行っている活動とは全く異なる体験ができ、現三年生もたっぷり楽しんだ二日間になりました。

 

初日は、シラハマ校舎にて内藤先生による講義を受けた後、懇親会を行いました。

 

午前中にハイウェイオアシス富楽里に到着しました。南房総市の新鮮な食材にはしゃぎつつ、昼食のお総菜や、懇親会用の野菜を購入。

その後、会場であるシラハマ校舎へ。宿泊棟なども案内していただきました。

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そして今回の合宿のメインとなるプレゼミ授業に。

授業の前に、ちょっと変わった自己紹介をしました。

参加者それぞれが、本名とは違う名前を名乗るというものです。合宿中の二日間は、その名前で活動するというルールを設けました。

好きな映画のヒロインの名前、飼い猫の名前、好きな食べ物の名前・・・などなど、それぞれが自由に名乗り、覚えきれずに大混乱に。

普段と全く違う名前で呼ばれたりするのが、いつもの自分とは違うような気持になれて面白かったです。

 

授業の内容は、内藤先生の授業では恒例の「論点を立てる練習」に始まり、その後事前に配布されたテキストをもとに、チームごとに議論していく形で進めていきました。

チーム分けは、学生と社会人で分けたりはせず、一緒に議論をしました。

学生と社会人で区別しなかったのは、今回はみんな内藤先生の授業を受ける「生徒」という関係だからです。普段は社会人の方と対等に接する機会はないため、新鮮でした。

 

その後の懇親会では、念願のバーベキューをしました(夏合宿では天候不良により実現しなかったのです・・・)。

南房総市の食材を楽しみつつ、ゼミ生同士や、ゼミ外からの参加者のみなさんと交流しました。

南房総市ではたくさん咲いている菜の花ですが、焼いて食べるととてもおいしかったです。

 

二日目は、百姓屋敷じろえむさんにて昼食をいただいた後、ヤマナハウスに移動して活動しました。

 

ヤマナハウスに到着後、ゼミの講義に入る前に、ヤマナハウスの活動に参加させていただきました。

農作業組、土間づくり組の二手に分かれ、45分で交代し、両方の作業を体験しました。

普段の活動では着席しひたすら議論・・・という状態なので、体を動かしてゼミ生はヘトヘト気味でしたが、普段はできない農作業などを体験でき、楽しかったです。

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その後、ヤマナハウス室内で円になって座り、「研究とは何か」というテーマについて話し合いました。

社会人のみなさんにとっての「研究」についてお話をうかがい、今やっている研究は大学にいる間だけでなく、今後の人生でも向き合っていくものなのだと知り、身が引き締まる思いでした。

 

以上のプログラムを経て、プレゼミ合宿が終了しました。

天候にも恵まれた南房総ののどかな自然の中、社会人のみなさんと議論したり、経験を語っていただいたりした今回の合宿は、忘れられないものになりました。

 

最後に、参加していただいたココロマチの吉山さん・奈良さん、ヤマナハウスのみなさん、南房総市の職員のみなさん、ありがとうございました。

また、南房総市職員の真田さんには、二日間、ゼミ生の移動を車で助けていただいただけでなく、地元の方ならではのスポットを案内していただくなど、とてもお世話になりました。

たくさんの方に支えられて活動ができているのだと改めて感じました。

ゼミでの活動も残り一年、ひとつひとつの活動を大切にしていきます。

 

秋学期第11回ゼミ

こんにちは!あと数日で春休みも終わりますね…。今年度のやり残しは今年度のうちにということで、12月6日に実施した授業の記事担当の相田です。

 

3ヶ月以上前の授業ですが、覚えている範囲で記事を書いていこうと思います。

 

今回議論したのは、文化批評への足掛かりとして、遠藤英樹氏の『現代文化論:社会理論で読み解くポップカルチャー』より、ポピュラーミュージックとアニメを題材に議論しました。

 

まず初めに、文化資本論という考え方について議論しました。文化資本は、経済資本と社会関係資本に連なる、ピエール・ブルデューによって提示された資本です。

文化資本には、教養や立居振舞といった「身体化された文化資本」、親などから受け継いだ絵画や彫刻品といった「客体化された文化資本」、国家資格や学歴といった「制度化された文化資本」の3種類があります。

 

私達は、社会をこの文化資本、経済資本、社会関係資本の3つを様々に組み合わせながら、生活しているとしています。そして、私達の持つ文化資本がぶつかり合うことで生じるのが、「象徴闘争」であり、今回はその事例として、音楽が取り上げられ、同時に「経路(ラウツ)」という考え方にも議論を進めました。

 

ちなみに、このラウツという考え方、ゼミ内で新歴史主義に次ぐレベルの大議論に発展しました。本質主義でもなく、かといって多元主義でもない。ルーツ(起源)とも違うということで、かなり議論が迷走したのは今でも覚えています。今自分が民族や人種の中でどのような立ち位置にいるのか、また、今まで自分のたどってきた道を何のために、だれのために何を使って表現しているのかを点ではなくもっと広くとらえた考え方なのはかろうじて分かったかなと思います。要復習ですね。

 

 

次に、ディズニーアニメーションを使って、ソフト・パワー論について議論をしました。

ソフト・パワーとは、軍事力や経済力といった強制的で暴力的な力ではない、その国が持つ魅力のことを指します。ソフト・パワーの源泉は政治的価値観、外交政策、文化から成り立っています。

 

日本のアニメーションは「クールジャパン」に代表されるように日本のソフト・パワーの重要な源となっている。しかし、それ以上に世界規模で強力なソフト・パワーを形成しているのが、ディズニーアニメーションである。

 

ディズニーアニメーションは強力なアメリカのソフト・パワーの形成に多大な貢献をしていますが、アジア諸国を「東洋」というステレオタイプ化したイメージのもと表現し、オリエンタリズム論にしばしば取り上げられている。第12回の授業では、「ジャングル・ブック」を用いて、文化批評の実践へと進んで行きました!!