秋学期 第2回特別講義

 

どうもこんばんは。今年度のやり残しは今年度のうちに。

第2回特別講義の担当の相田です。

11月29日に行われた秋学期第2回目(通算4回目)の特別講義は、前回の平井さんに続いて、東京大学大学院より井川理さんをお招きし、横溝正史『鬼火』を中心に戦時中の検閲とメディア、そして挿絵の文化についてお話を伺いました。

 

自分はMembersにも書いてある通り、推理小説好きなので、横溝正史の金田一シリーズも大好物なのですが、今回取り上げられた『鬼火』は恥ずかしながら読んだことがありませんでした。

しかし、日本の戦時中のメディアに対する検閲の研究は数多くある中、当時の新聞記事を探し、推理小説という大衆娯楽からアプローチをかけた井川さんの研究に、自分は一推理小説好きとして、また文学研究をする端くれとして、とても興味をそそられる内容でした。

 

『鬼火』は、ある二人の従兄弟の画家の「深讐綿々たる憎念と、嫉妬と、奸策の物語」を、「私」が関係者の元警官から話を聞くという構成をとっている。この作品も他の例にもれず、検閲により一部改稿、一部削除といった措置を受けましたが、それを逆手に取り、「削除処分、伏字処理を受ける程過激な作品である」ことを宣伝文句として活用した元編集者の横溝の妙が窺えます。

また、今ではライトノベルに代表される挿絵の文化が戦前の作品にあったことも自分の中で驚きでした。しかし、『鬼火』の挿絵はただ情景を読者に見せるだけでなく、二人の物語を、また別の視点から魅せているという点で、今のライトノベルの挿絵文化とは一線を画していると感じました。

 

作品を構成するのはテクストだけではない、もっと多くの要因が複雑に絡み合って作品が出来上がっているのを実感するお話でした。

ありがとうございました!!

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秋学期 第1回特別講義

今回の特別講義のブログ担当の前田です。
年数回ゼミ外部より講師をお招きして行う特別講義。11/15に行われた秋学期第1回目(通算3回目)は東京大学大学院より平井裕香さんをお招きし、川端康成『禽獣』の研究についてのお話を伺いました。

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↑写真右から五番目が平井さん。真ん中の男の方が目立っちゃってますね笑

恥ずかしながら我々ゼミ生の中に川端康成について詳しい人はおらず、平井さんに川端康成のイメージを聞かれても「ノーベル文学賞」「雪国」「伊豆の踊子」ぐらいしか出てこず・・・
しかし、文学研究においては長い歴史が積み重ねられている作家でもあります。故にその先行研究をいかに打ち破るかという平井さんの努力や熱意に、我々は心を打たれました。

『禽獣』は川端康成の初期ごろの作品で、よく文学研究の対象とされる作品です。タイトルの通り、禽(鳥類)と獣(犬など)が多く出てくる小説ですが、それらの死にフォーカスが当てられていてなかなか残酷な内容で、読むのに難儀しました。
従来の文学者もこれを、私小説(的な小説)、動物と女性を重ねるなど「いやらしい」小説、構成が複雑な読みにくい小説であるなどと論じています。ですが平井さんはそれらを越えた読みを行う為、物語の語りの構造に注目しました。
この小説の主人公は、様々な動物や登場人物ごとに区切られた場面を行ったり来たりしながら語りを行っています。その場面一つ一つは動物虐待について淡々と述べられているだけですが、そうした場面の流れ全体を見た時はじめて主人公の良心の呵責が見えるというのです。
その他にも、普通に読むだけでは気づきもしない様々な知見を発表して下さり、作品分析に関する様々なヒントをいただけたように思います。

そして長い特別講義のあとは、全員でお食事会へ行きました。対象とする小説は暗いですが、平井さん自身は気さくな方でとても楽しい時間を過ごせました。
今回は本当にありがとうございました!

春学期 第1回特別講義

こんにちは!この度、内藤ゼミナールのブログをこちらに移転いたしました。新設致しました内藤ゼミナールのブログをこれからも宜しくお願いいたします。ブログ移転後、記念すべき1回目の投稿ということで張り切って書かせて頂きます!執筆担当は、提中です。

6月14日、米国フロリダ州立大学近代言語語学部助教授のスティラーマン・アリエル先生にお越しいただき、今年度1回目の特別講義を行って頂きました。

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外国人の先生、そして事前に配布されていたハンドアウトが英語………ということで、ゼミ生はかなり心配して気構えていたのですが、スティラーマン先生は非常に日本語が堪能な方で、心配は杞憂に終わりました(^^;)

スティラーマン先生は、古代の日本のコミュニケーションツールであった和歌について、講義を行って下さいました。今回の講義では丁度梅雨の時期ということで、以下の和歌を取り扱いました。

 

五月雨に 濡れにし袖に いとどしく 露おきそふる 秋のわびしさ

現代語訳:御心のこもったお文をいただきまして、梅雨のころからずっと濡れている袖に、さらに感涙の露を置き加える秋のつらさでございますよ。

 

これは、平安時代中期、後醍醐天皇の更衣であった近江更衣が詠んだ歌です。この歌からは、五月に母を亡くし、秋になっても悲しさから立ち直ることが出来ないという近江更衣の気持ちが伝わって来ます。そして、この歌に対する後醍醐天皇の返しが以下の歌です。

 

おほかたも 秋はわびしき 時なれど 露けかるらむ 袖をしぞ思ふ

現代語訳:一般的にいっても、秋はつらい時期ではあるが、私は、お前の露に濡れているであろう袖のことを特にしみじみと思っているのだよ。

 

この歌からは、後醍醐天皇の、遠くにいて見えなくても悲しい気持ちは分かっているよ、と近江更衣を心配する思いが伝わって来ます。

このように、古代の日本では、和歌をコミュニケーションツールとし、直接的な言葉を使わずに気持ちを伝えあっていたのだということが分かりました。

さて、コミュニケーションツールとしての和歌について一通り学んだ後、スティラーマン先生から課題が…………。それは、現代語で和歌を作ってみよう、というもの。ほとんどのゼミ生は和歌を作った経験などなく、頭を悩まされました。それでも、一生懸命に考えた結果、なかなかの名歌が誕生したように思います。こうして実際に和歌を作ったことで、現代語でも直接的な表現を使わずとも、気持ちを込めることが出来るのだと気が付きました。遠回しな表現でも情景を伝えることが出来るというのは、今も昔も変わらないのですね!和歌づくり、非常に難しかったですが、限られた言葉数の中で、どうやったら自分の気持ちを伝えることが出来るのかを考えるのは、とても楽しかったです。ゼミ生からは、今後機会があれば家族や友達に和歌を作って送ってみたい、との意見もありました(^^)

こうして、スティラーマン先生の特別講義は幕を閉じました。私は、高校の古典の授業では、文法などに捉われ、正直和歌に対して苦手意識を持っていたのですが、今回の講義で、和歌に対するイメージがガラリと変わり、和歌の楽しさを知ることが出来たように思います。

 

スティラーマン先生、素敵な講義をありがとうございました!

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