8期生ブログ第9回「水無月、8ヶ月前のそれは」

これは、8ヶ月前の上西の記録。

2限

結末

物語には2種類の結末があります。閉じられた終わりと、開かれた終わりです。

閉じられた終わりは、はっきりとした解決に至って終結する方法です。例としては、主人公が結婚して幸福な状態で締め括られる「ハッピーエンド」などが挙げられます。ハッピーエンドといえば、日本の伝説のバンド「はっぴいえんど」が思い浮かびます。このバンドの曲に「続はっぴ-いいえ-んど」という曲があります。この曲は、『はっぴ「いいえ」んど』という歌詞が繰り返されていくにつれだんだん声が小さくなり、最後にはいいえという歌詞が微かに聞こえて終わります。この曲のような場合であれば、ハッピーエンドではないといって締め括られているので、ギリギリ閉じられた終わりです。

さて本題に戻りまして、結末のもう一つの形態、開かれた終わりは、はっきりとした解決なしに終わり、結末について多様な解釈が可能な結末のことを言います。二通りの解釈があるような「二重の結末」や、結末が冒頭部へとつながり円環構造を持つ結末などのことです。

伝統的批評

伝統的な批評スタイルとして、道徳的批評、伝記的批評があります。道徳的批評はテクストからどんな教訓を得られるのか的な批評スタイル、伝記批評は作者の経験が反映されたものとして作品を批評するスタイルです。

透明な批評、不透明な批評

不透明な批評は、テクストを客体としてみてその形式上の仕組みをテクストの外側に立って分析する方法です。

透明な批評は作品世界と読者の世界の間の世界との間に仕切りが存在しないかのようにテクストの中に入り込んで論じるような方法です。

ここで批評と考察の違いを話し合いになりました。分析した後に実社会に対して何か新たな価値観を提示しているのであれば批評、分析が物語内にしか及ばず、読んだ後に「なるほど・・・で?」となってしまうようなものは考察であるとの結論に至りました。不透明な批評は批評として成り立ち易いが、透明な批評は考察にとどまってしまい、批評たり得ない可能性があります。アカデミックな文章を書くときは考察でなく批評となるように気をつけなくてはなりません。

4限

フロイトの「妄想と夢」を扱い、精神分析批評、夢分析を学びました。

このテクストは主人公の行動原理を夢の内容から考察したもので、精神科医であったフロイトが臨床の現場で確立した夢分析の理論を物語内の登場人物の夢に応用したものなので、典型的な透明な批評です。

フロイトは夢は抑圧された願望を充足する行為であり、その夢を分析することは、無意識を意識化するのに役に立つと考えていました。そして神経症の原因である無意識に抑圧された願望を夢を解釈し患者に意識化させることで、患者の神経症を治療していました。

そういえば千と千尋の神隠しの銭婆が、「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで」といっていました。僕はこの言葉が好きです。意識上ではもう思い出せなくなってしまった僕にとってかけがえのない経験は、思い出せないからといってなくなってしまったのではなく、無意識ではしっかりと覚えていて大事に保存されているとおもっています。そしてそれらが今の僕を形作ってくれているとおもうのです。

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