8期生第6回「声・イメジャリー」

こんにちは。8期生の井上です。

とりあえず初めましてなので自己紹介します。好きなものはゲーム、アニメ、マンガで好きなことは適度な運動、食べること、そして寝ることです。特に寝ることについて、単純に気持ちいいだけでなく、嫌な一日をリセットする、いい夢を見る、体を休めて回復するなど多機能である点でとても好きです。ゲームは主に対戦ゲームが好きでYoutubeやTwitchで対戦ゲームをプレイしている方の配信をよく見ています。アニメやマンガはジャンプで掲載されたものを中心に少年マンガ系統が好きですが、日常系も好きです。

さて前座ですが今回はマンガ、「青のオーケストラ」を紹介していただきました。

優秀なクラシックをテーマにした学園モノ、青春モノで人間性の描写や演奏シーンの描写が魅力的なマンガですでに10巻出ていますがアプリで読めるとのことです。授業後に少し調べてみましたが面白そうだったので時間のある時に読んでみたいと思います。

それでは本題に入ります。まずは2限サブゼミの方から。

今回は、声・イメジャリーという概念について学習しました。

声とはテクスト総合から理解するテクストにはない描写のことで、例えば文字に直接個人の感情を書き起こしてはいないものの書いてある内容やその個人の行動から読み取れる感情といったものが挙げられます。

以上を踏まえて次にモノローグとポリフォニーについてです。

作者単一の視点と意識によって統一されている状態をモノローグ的と言いこれに対して多様な考えを示す複数の意識や声が、それぞれ独自性を持ったまま互いに衝突する状態をポリフォニー的と言います。

イメジャリー

イメジャリーとは事物から、それを見て、読んでイメージが喚起される作用のことで、作品によっては同じ事物について喚起されるイメージが異なることもあります。

イメジャリーにはたくさんの機能があって今回のゼミではこの機能を区別するのにとても時間を使いました。(主に私の理解に)

メタファー

象徴

アレゴリー

メトニミー

シネクドキ

以上が今回扱った機能になります。カタカナばっかりですね。一つ一つ見ていきます。

まずはメタファーです。これは聞いたことがある人も多いと思いますし私も聞いたことがあるので何となく理解できそうな気もしました。メタファーはあることを示すために別のものを示しそれらの間にある共通性を暗示する場合を指します。例えば白雪姫という単語について、白雪姫の肌の白さを示すために「白雪」という別の単語を示し「白」という共通性を暗示しています。

象徴は特に類似性のないものを示して連想されるものを暗示する場合を指します。月に母性とか女性などを暗示させるようなものです。

アレゴリーは具体的なものを通してある抽象的な概念を暗示し、教訓的な含みを持たせる場合を指していて、寓意とも呼ばれます。物語における「キツネ」といった具体的なものに「狡猾、ずるがしこい」などの抽象的な概念を持たせるといったことです。

メトニミーは換喩とも呼ばれ、暗示したいものをその具体的な一部のみによって示す場合を指します。具体的には「赤ずきん」という単語が「赤ずきんを被った少女」を連想させるような場合です。

シネクドキは上位概念によって下位概念を暗示させる、逆に下位概念によって上位概念を暗示させる場合を指します。例えば「花を見る」という言葉について通常桜を見ると解釈されることは「花」という上位概念が「桜」というその下の概念を示していると言えます。

個人的にここを理解するのがとても大変でした。2限で学習したのはこんなところだと思います。

次に4限の内容に入ります。

4限ではミハイル・バフチンの「ドストエフスキーの詩学」を扱いました。とにかくバフチンのドストエフスキー愛が感じられる文章でした。ここではバフチンによってドストエフスキー作品について批評がなされており、冒頭ではドストエフスキーの小説についてカラマーゾフやラスコーリニコフといった人物の批評を取り上げたうえで彼らの主張をエンゲリガルドやグレーフェらの引用を用いながら否定し、そのうえでドストエフスキーの小説の登場人物が作者の手を離れ、作者に反旗を翻すことすらあるように自由に躍動していることを明らかにし、トルストイに見られるような従来のモノローグ的な世界とは違うポリフォニー的な世界を生み出しているとしました。

以上のことを確認したうえで今度は私達が残りの授業時間内という限られた時間で、浦島太郎をポリフォニーな物語に書き直すという取り組みに挑戦しました。登場人物を、桃太郎、亀、亀をいじめる子供たち、乙姫、鯛やヒラメ、おばあさんとし、浦島太郎が亀を助けるシーンと竜宮城内での宴会、そして浦島太郎が陸上に戻り玉手箱を開けてしまうシーンの3つの場面を抜き出して場面がつながるようにそれぞれの場面を二人ずつで担当してポリフォニックにしました。まずは登場人物が自由に動くためのキャラ設定を以下のようにしました。

浦島太郎

極度のマザコンかつ偽善者。自分の欲求にひたすら貪欲なクズ。

乙姫に良き伴侶を連れていきたかった従者。

子供

親無しの家無し。亀を今夜の晩御飯にするつもり。

乙姫

外の世界に出ず不思議な海底で永遠に楽しく過ごすことを望んでいる。変わらないことがこの世で最も美しいと考える。

タイ・ヒラメ

自分たちが神と仰ぐ乙姫と似た生き物(浦島太郎)の登場に不安定になっている。

おばあさん

帰還した浦島に出会い新手のオレオレ詐欺かと身構える。亡き夫の遺産で第2の人生をやり直すつもり。半世紀の間夫に献身してきたのでこれ以上搾取されたくない。

一人ずつキャラ設定のアイデアを出したのですが結果的に全体的にひねくれたキャラクターになってしまいました。

次にそれぞれの場面を次のように作り直しました。

亀を助けるシーン

浦島太郎は竜宮城や乙姫の存在をすでに知っていて、マッチポンプで彼女の玉の輿を狙うために子供にお金を渡して亀をいじめるように指示を出していた。亀を助けると亀は乙姫の婿にふさわしい人物を見つけたと喜ぶが、浦島太郎も思い通りになりほくそえんでいた。

また、お金をもらっていた子供はこれを元手にギャンブルで資金を増やそうとしていた。

宴会のシーン

いじめの一件の後亀に連れられた浦島太郎は竜宮城を訪れる。竜宮城では魚たちが自分たちにとって神としている乙姫とよく似た生き物が来たことに動揺し、良くないものとしてていたが乙姫に自分と同様に扱う(神扱い)ようになだめられていた。一方宴会の席で用意された食事に不満を持った浦島太郎は竜宮城内の魚を食べようとする。魚たちは浦島に反感を持つようになり、竜宮城内の空気感が浦島太郎に居心地の悪いものになる。居心地の悪くなった浦島太郎は帰ることを告げ、乙姫は亀を助けた浦島太郎に対して自分の価値観、つまり永遠に変わらないままでいることが何よりの価値であると思い、若さを保てる玉手箱を渡す。

玉手箱のシーン

陸に戻った浦島太郎はおばあさんと出会い時間が過ぎていたことを知って驚くとともに自分の生活について思案を巡らせる中でおばあさんの息子を騙りこのおばあさんから生活資金をだまし取ってやろうと画策する。一方で亡き夫に時間を搾取され続けたおばあさんも自分が騙されそうになっていることに気づいており浦島太郎を警戒するが、逆に騙し返してやろうと浦島太郎の話に乗り、話の流れで浦島太郎の持つ玉手箱を見て「自分へのお土産か何かか?」と話す。玉手箱を渡す流れになったが自分のものがとられるのが嫌な浦島太郎は一人で玉手箱をあけてしまう。

このように書き直してみた感想として、個人的にはいくら時間がなかったとはいえ、おばあさんの息子を騙るのは話の流れ的に難しそうだとか、浦島太郎の竜宮城の振る舞いをカメはどう感じたのかなど、あちこちにツッコミどころがあって、読んでいてすごく引っかかってしまう小説になってしまったと感じました。また、キャラクターを作者の手を離れて動かすということにもこだわりすぎていたのではないかと振り返って思いました。今回の経験を通してドストエフスキーのやっていたことの難しさを少しは実感することができました。

やっぱりドストエフスキーってすごいんだなあ。(小並感)

以上です。

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