こんにちは~。寺本です。
タイトルの通り、今回は第8回にやったことをゆるく振り返ります。
個人的に、ブログって頭空っぽにしても読めるのが良いところだと思っています。
なんで、まあ、なるべく読みやすいようにふざけて書きたいんですが、如何せん、ブログなんて今までの人生で書いたことないので、あちらこちらすべっているところがあるかもしれません。
しかし、すべるのがスキーです。すべろうともしない人はすべることすらできません。スキー場に行ってすべらないのは入場料が無駄です。もったいないです。
ともかくお目汚しになるかもしれませんが、最後までよろしくお願いします。
1.リアぺの振り返り
その前に授業方針の変更について。
今までリアぺ紹介がゼミの大半を占めすぎて他にやりたかったことができないということで、少しリアぺ紹介の時間を減らすことになったそうです。
確かに復習ばかりしていても前に進まなかったら本末転倒ですね。良い方針だと思います。
で、そのリアぺについて具体的に振り返ろうと思ったのですが、書けません。
どんな話してたか忘れました。
……前に進んでばかりしていても復習しなかったら本末転倒だということも身をもって分かりました。
要はバランスが大事だということです。勉強になりましたね!
……今度からメモ取ります。すんませんでした。
だから結論としては皆、多分良いこと書いてた気がします! 知らんけど。
2.脱構築について
※前回の続きなので内容が被っているところがあるかもしれません。あらかじめご了承ください。
授業を受ける前に「脱構築とやらはどんなもんなのか」と、課題文を読んでみました。
自慢になりますが、僕は自分がそこそこ理解力のある方だと思っています。
昔の文献だけれど、僕なら余裕でしょう。
そんな心持ちでクラスウェブに載っているPDFをクリックしました。
以下、ジャック・デリダ「グラマトロジーについて」冒頭を引用。
「一、文字言語の知識において輝ける者は、太陽の如くに輝くであろう。
おおサマス(太陽神)よ。汝は国々が楔形の記号ででもあるかのように、国々の全体を汝の光によってつぶさに見ているのだ。
ニ、これら三つの書き方は、国民として集まった人々を考察し得る三つの異なった状態にかなり正確に対応している。対象の描写〔絵画化〕は未開の民族に、語や命題の記号化は野蛮な民族に、アルファベットは開花された民族に、ふさわしいものである。
三、アルファベット的文字言語〔アルファベット文字〕は、即かつ対自的に最も悟性的である。」
??????????
デリダさん?????
思春期真っ盛りの中学生の押入れにひっそりと隠してありそうな難しい文言が突如視界に表れました。
1割も……どころか、1%も分かりません。
初め、楔(くさび)が読めず、文字変換が出来ませんでした。(これは単に僕がバカなだけかも)
いや、しかしここまではデリダさんではなくどうやらヘーゲルさんのお言葉のようです。
それなら、ここからがデリダさんの言葉です。読みやすくなるかもしれません。
僕は諦めずに最後までチャレンジしました。
……結局、最初から最後まで何言っているのか分からなかった僕は頭を抱えました。
なんで僕はブログ決めの時に直感に任せて意気揚々とこの回に挙手をしたのだろうか…。
後悔に苛まれながらも、前回、今回と脱構築の授業を受けました。
結果、なんと内藤先生のありがたいご教授のおかげで理解することが出来ました! 7割くらい。
先生の説明はとても丁寧で、全く問題なかったです。
どうやら僕の理解力が単純になかったようです。申し訳ありませんでした。
されど7割。
野球選手で打率7割はぶっ壊れ性能です。なので振り返ります。
ゆるく表現するなら脱構築とは「理論の矛盾を見つけて崩壊させること」だと思います。
色々ありましたが、その中で「民族中心主義」の例を挙げます。
民族学者のレヴィさんはブラジルの無文字社会を書記言語に支配されていない無垢な共同体だと言いました。つまり褒めたのです。
一見これは、他国を肯定しているという点で良いことのように思えます。
でも、少し引っかかりません?
例えるなら、野菜の味が好きで食べているだけなのに「野菜食べてて偉いね」って言われているみたいな……。
別にこっちは偉いと思って食べているわけではないのに勝手にそっちの価値観で決めつけられて褒められるみたいな感じ。これはブチ切れても仕方ないと思います。
あ、因みにこの例えは自分がテキトーに考えただけで、決して実在の人物、団体とは関係ありませんので悪しからず。
つまり、民族中心主義とは、「自分の育ってきた価値観、文化を基準にして他の文化を評価すること」なんですね。これにデリダさんは異を唱えたんです。
無文字社会の例に戻りますと、音声言語から文字言語という時間的な発展に過ぎないものを全く文化の違うブラジルにも当てはめるレヴィさんを批判し、その考え方を脱構築したのです。
こういうことです。……合ってるかな?
自信がありませんが、ともかく、脱構築はこのようにして実際に人々の意識に潜んでいる選民思想的な考えを否定しました。
もちろんこれは数ある例のたった一つで、他にも間違った結論へ行こうとする人々の目を覚ませる良い理論だと思います。
ただ、これを認めすぎてしまうと、あちらこちら陰謀論だらけになってしまう気がするので、やはり何事もバランスではないでしょうか? どうなんでしょう。
3.レポートの構想発表について
室田雛さん
テーマは「月9からラブストーリーが減った理由」だったと思います。(間違えてたら僕は馬鹿です)
月9とは「月曜日9時から始まるドラマ」のこと。
昔はラブストーリーが多かったそうですが、最近は様々なジャンルのドラマが多いそうです。
むしろ最近はそのジャンルの中にすらラブストーリーが不自然にないそうです。
それは何故なのか……というのがテーマになります。
当方、根暗なもんでドラマに関して全くもって知識がないので共感は出来ません。
しかし逆にそれがゼミの面白いところで、自分の知らない世界のことを他のゼミ生がこうして発表して、知ることが出来る。色んな人の色んな考え方が分かる。とても良いことだと思います。
それに、知らなかった僕でも気になる面白そうなテーマですしね。
白川大翔さん
テーマは「人が物語に感動する要素は何か?」だったと思います。(間違えてたら僕は大馬鹿です)
これは物語が好きな人……つまり、ほぼ全人類が気になるテーマだと思います。
しかし、だからこそ抽象性が高く、難しいと思います。
例えば、文献の収集がたくさんある点でそもそも難しいことや収集したとしてもその論証も難しい。
先生も授業でそこを指摘していました。僕もそう思いますし、実際そう彼に伝えました。
けれど、少し考え直して、僕はやりたいならすべきだとも思いました。
ここで妥協をして自分の興味ないことをテーマにするくらいなら、多少難しくてもチャレンジするべきだと思います。
白川君、頑張ってください。
4.論述分の書き方について
確か時間がなくて授業内でほとんど触れられてなかった(と思う)ので割愛します。
決してここまで書いてきてめんどくさくなったわけではありません。
振り返りの振り返り
今、ここまで読み直したのですが、長くね?
明らかに他の人より倍ほど長いし、あと、すべってね?
長くて面白くないってそれもう軽い地獄だけど大丈夫なの?
自分ではもう分かりませんが……長さに関しては大は小を兼ねる理論で乗り切り、面白さに関してはスキーも一緒理論で論破していきましょう。
まあブログ書くのも楽しかったんでよしとしましょう。そもそもそんなに読んでくれる人もいないだろうし。
ほんと長いんで、もう終わります。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。