こんにちは、あるいはこんばんは。第6回ブログを担当する市川 快です。よろしくお願いします。授業から少し間が空いてしまい申し訳ないです。最近はすっかり暑いですね。僕は30~40分黙々と歩いて大学まで行くのですが、額に汗が滲むようになってきました。ちょっと鬱陶しいです。ならわざわざ長い距離を歩くなんてことはせずに、自転車や電車を使って行けばいいじゃないか。いいえ。僕は歩くことをやめません。なぜなら歩くということはとても楽しいし、わくわくするから。
「日本語は乱れているのか」について
もう少しだけ個人的な話をさせていただくと、つい先日村上春樹の「海辺のカフカ」を読み終えました。まず話が面白かったし、何よりも彼の文体からしか得られない謎の栄養みたいなものを沢山いただくことが出来ました。読んだことがない方はぜひ読んでみてください。以前、彼が書いた「職業としての小説家」というエッセイを読んだのですが、彼の小説の文体に対する考え方は、授業で扱った「日本語は乱れているのか」と近しい気がします。彼は自らの文体がしばしば批判を受けることについて、「言語というのは、長い歴史によって裏付けられた強靭な力を有しており、どれだけ荒く扱われようがその自律性を損なうようなことはない。むしろ冒険心をもってそのツール性を深く追求していくことが、日本語の再生に繋がる」と述べていました。この考え方は、言葉の「乱れ」を単純化、合理化の法則に則った「ことばの変化の必然的な流れ」だとする「日本語は乱れているのか」と通ずる部分がありますよね。僕たちは、今まで触れてきた体系と大きく異なるものと出会うと拒絶してしまいがちです。もちろんそれについてどう思うかなんてことは全くの自由ですが、少なくとも寛容な姿勢を持って接していきたいですね。
坪沼君の前座「タイタンの妖女」について
順番が前後してしまいましたが、今回の前座は坪沼君によるSF小説「タイタンの妖女」の紹介でした。今回も作品への愛がこれでもかと伝わってくる素晴らしい発表でした。皆さんも経験があると思いますが、誰かに向けて自分の好きな作品について話すというのはとても難しい、複雑な作業です。さらにそれを3分以内に収めるとなると、そりゃもう大混乱です。しかし坪沼君は物語のあらすじを述べるだけでなく、皮肉という切り口から適切に文を引用し、朗読することで、小説のもつ引力を十分に引き出せていました。天晴です。「タイタンの妖女」、今度読んでみようと思います。自分が全く知らない作品と出会えるのもこの前座の良いところだと思います。
神津君のレポートの構想発表 「Creepy Nutsの歌詞は結成からどのような変化をとげているか」
「1曲1曲がストーリーといえるのではないか」この一言で一気にプレゼンに引き込まれました。音楽って小説や映画とは一線を画した存在のように思えますが、実は構造を紐解いていくと物語的な要素がいくつもあるんですよね。そう考えると、神津君の一言はとても鋭い指摘だなあと思いました。
メジャーシーンで活躍するアーティスト達にとって、大衆という存在は切っても切り離せない存在ですよね。アーティストと大衆が相互作用を起こしながら、どのような意思を持ってどう変化していくのか。僕自身興味があるトピックでもあるので、神津君がどんなレポートを書き上げるのか楽しみです。授業で扱ったプロップの論じた概念も使えそうですね。
資料の検索方法について
授業の最後では、何枚もレポートを書かなければならない大学生にとってとても重要な、資料の探し方について学びました。恥ずかしながら僕は一年生のときCiNiiというサービスを知らなかったので、片っ端からググって論文を探していました。今冷静に考えるとすごく効率が悪いし、偏った情報に頼ることになるので危険ともいえますよね。これからはこのようなサービスを適切に利用しながらレポートを書きたいし、大学を卒業しても学びの姿勢を捨てることなく利用してきたいです。
明大の図書館についても触れられました。和泉の図書館は本当にきれいでゆったりとした空気が流れていますよね。僕も去年初めて立ち寄ったときあまりのきれいさとデザインのカッコよさに衝撃を受けて、こんなところで勉強できるのか!と嬉しい気持ちになりました。これからも気軽に出入りして、こんなおしゃれなところで本読んでる俺カッケ~!と思いながら利用していきたいです。そういう気持ちって、結構大事だと思うから…///
おわり