7期生ブログ第19回「みなさん(特にあなた)のおかげでした」

ハピニュイヤ。あけましておめでとうございます。徳村です。

またすっかり滞ってしまいましたね。

もう最近はオープニング世間話を考えるのも面倒くさくなってきました。

ていうか、いつからブログの最初はおもしろ世間話する流れになってるんですか!?

個人的にこの本題と全く関係のないオープニング世間話っていうのは、筆者のセンスとか趣向とかが無駄にダダ漏れになっている部分だと思っているのですが、もう最近では段々とプレッシャーになってきています•́ ‿ ,•̀

読者諸君の中にも、「本当はもう本題からスッと始めてしまいたい。。。」「ゼミにあんまり関係ないことわざわざ書く意味が分からない。。。」とブログ執筆のたびにさげぽよ状態に陥っている人がいるかもしれません。

そんなアナタに私は手を差し伸べてあげたい。。。with慈愛。。。慈しむこと。。。愛すること。。。

つまり𝓛𝓸𝓿𝓮。。。

イット・イズ・𝓛𝓸𝓿𝓮。。。𝓨𝓮𝓼。。。

ていうか今思い出したんだけど『恋っていう字は心が下にあるから下心、愛っていう字は心が真ん中にあるから真心』って最初に言ったヤツのこと恋側は訴えた方がいいと思う!うっせーお前に何がわかんだバーカ!!!恋ナメんな!!!

というわけで今回は、7期生ゼミ最長となる3週に渡って行われた『闇の奥』の脱構築批評の様子を、ギュッと凝縮してお届けしていきます!

『闇の奥』は1889年にイギリスの小説家・コンラッドによって発表された小説です。マーロウという船乗りが植民地時代のアフリカ大陸でカーツという人物と出会うことで、自分自身の中にある空虚や闇を悟るというストーリーになっており、植民地主義の凄惨さや人間の闇について考えされられるような作品になっています。

この物語を脱構築批評したのが、今回扱った田尻芳樹氏の『空虚な中心への旅』という批評。『闇の奥』の重要なテーマの一つとして文明/野蛮、西洋/非西洋という二項対立の脱構築を挙げていました。ヨーロッパから見たアフリカは野蛮な他者であり、境界線の外側にいる存在のはずが、マーロウが実際に経験したアフリカの様子や、カーツという人物の存在によってその境界が揺るがされるのです。

また、マーロウの奥地への旅は「暗黒で空虚な中心への旅」であると田尻氏は述べています。田尻氏はその理由として3つのレベルで考察しています。

まずひとつ目に、地理的なレベルでマーロウの旅は空虚であり、それはマーロウ自身がアフリカ大陸のことを暗黒で空っぽな土地であると語っていることからわかります。二つ目に、心理的なレベルでマーロウが探ろうとするカーツの心=中心の中に最後に見出されるのが深い闇と空虚であるということです。さらに、カーツに共鳴しているマーロウ自身の心の闇=空虚に触れることになります。

3つ目に、語りの表現のレベルでもマーロウの旅は暗黒で空虚なものであると言えます。マーロウは「暗黒で空虚な中心」に到達してしまったことによって、自己同一性の崩壊を経験してしまうのですが、そのような人物によって語られる物語は確固たる中心的な意味を持っておらず、それはこの小説が目的論的なテクストの読みを否定し、さまざまな意味と解釈とが複雑に織り合わされたものとしてテクストを読む脱構築的思想を提示しているのです。

このように、脱構築的・脱中心的な思想が濃いように感じられる『闇の奥』ですが、唯一ジェンダーに関しては二項対立を強化されてしまっていると田尻は指摘しています。それは終盤のシーンで、カーツの妻に嘘をつき真実を隠そうとするマーロウに現れています。このシーンでは、男性/女性という二項対立が真実/虚偽という二項対立と重ねられることで、二項の境界線が明瞭に引かれ女性が真実から遠ざけらているのです。

以上が、田尻氏による『闇の奥』の脱構築批評になります。『闇の奥』を読んだことがないと、理解がちょっと難しいかもしれませんね。

そうそう、今回は『闇の奥』だけでなく、本作品をもとにして制作された『地獄の黙示録』にも軽く触れることになりました。序盤の衝撃的なシーンの連発と終盤のジメジメとしたシーンの継続が気持ち悪いコントラストになっていて面白い映画でした。『闇の奥』との大きな違いは戦争映画になっているという点で、人間の心の闇や空虚さというよりも、戦争(今作で扱われたのはベトナム戦争)の空虚さや狂気について考えさせられる作品になっていました。

そして今回の『闇の奥』批評で最も熱を帯びたのは、脱構築批評ではなく夏目漱石の『こゝろ』との比較でした。どうやら夏目漱石は『こゝろ』を執筆するよりも前にこの『闇の奥』を読んでいたようで、村上さんや先生からその共通点が挙げられたことによってこの比較をすることになったのですが、まさか丸々200分をこの批評に費やすとは思ってもみませんでした。200分の議論を全部書き起こすのは私の腕と精神が著しく疲弊するので遠慮させていただきますが、今回は特別にゼミ終了後のホワイトボードをお見せしちゃおうと思います。

ある観点ではクルツ(カーツ)とKが重ねられたりマーロウと先生が重ねられたり、また別の観点ではクルツと先生が重ねられたり、マーロウとKが重ねられたりしているなど、着目する要素によって多様な関係性を見つけることができて面白かったです。こうやって私と村上さんと先生の考察やその場の思いつきで、どんどん議論が深まっていく過程がとてもワクワクして好きですね〜。

さて、私が3年生でブログを書くのはこれで最後でしょうか。ヒーヒー言って滞らせながらなんとか1年間走り切ることができました。よかったー。勢いだけで書いてる故にほとんど怪文書みたいになってる回が数回ありましたが、皆さんが広い心で受け止めてくれたので甘んじまくってやりたい放題やりました。読んでくれた皆さんありがとうございました。

ていうかこのゼミ、ほとんど村上さんのおかげで何とかなってたゼミでした

居てくれてめっちゃ助かりました。ありがとうございました。

何より、帰り道に聞いた村上さんの衝撃的な恋バナの数々は一生忘れません

毎週毎週、結構ドラマチックな展開があるので聞いてて全然飽きませんでした。木曜19時の恋愛ドラマっていう感覚で毎回の楽しみになるレベルです。

あの続き気になるので、また今度聞かせてください。

それでは、私もあなたも誰も彼も、1年間お疲れ様でした!

また曖昧な時期に曖昧な場所で曖昧に会いましょう!

徳村

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