みんなー!滞ってるかーい!?
どうも、お久しぶりです。7期の徳村です。
秋学期が始まって早2か月くらい経ってしまっていますが、一度もブログを更新できておりませんでした。
理由としましては、ギリすぎる春学期レポートの執筆と、ギリすぎる明大祭準備スケジュールが挙げられます(以下言い訳パート)。
まず春学期レポート(1万字)なんですけど、これがマジで終わらなくてメチャメチャ精神的な不調に陥り、発表会にもほとんど出来上がっていない状態で参加し、失態を晒すなどした後、先生の助けを借りながら締め切り一週間前にテーマを変更して、締め切り当日に図書館に籠ってなんとか仕上げた、っていう経緯がありました。それ書きながら授業もやってたわけなので、当然ブログなんて書いてる暇ないワケなんですよね!
次に明大祭準備なんですが、私は軽音サークルであるケーパースとお笑いサークルである木曜会Zを兼部しておりまして、今年は初めてそのどちらにも参加することになり、結果的に春学期レポートを終えた後、雪崩れ込むように明大祭準備に飛び込まざるを得なくなってしまったのです。
軽音サークルではレッチリのボーカルだったんですが、私洋楽なんて今までロクに歌ったこともないし、ラップなんてズブの素人だし、もう必死で聴き込んで歌の練習してなんとか形にしました。他のパートの人はメチャメチャ上手い人ばかりなので足を引っ張らないように頑張りました。
そしてお笑いサークルでは、なんと私史上初めて『3日で4ネタやって、そのうち3本のネタを書く』という暴挙に出まして、ネタ披露の当日朝にネタを相方に送って一緒に合わせながら覚えたり、徹夜でコントで使う音楽を編集したりして本当にギリギリのスケジュールをこなしました。ギリギリだった割にはウケてた方なので良かったなと思います。ちなみに私が書いたネタは『フルーチェの黄金比率』『レストラン強盗っぽい人』『パソコンっぽい人』で、私は『~っぽい人』ネタが好きなのかもしれないと思いました。
そんな感じでメチャメチャ多忙を極めた今年の明大祭でしたが、個人的にはもう大満足で、過密スケジュールの中、本番3日間をちゃんと完走できたことが何より嬉しいし、大学生活の中で一番充実感がありました。一夜明けた翌日に「なんか楽しかったなあ」と思えたことって最近あんまりなかったので、私久しぶりに感動してます。過密スケジュールは精神を追い詰めますが、なんとか乗り越えるとこんな感情になるんですね。たぶん現状、私の走馬灯候補のトップ3くらいには入ってるんじゃないでしょうか。もっと走馬灯候補を増やしていける人生でありたいと思っています。過去そして未来のマイ・スウィート・メモリーズの諸君おかれましては、今後一層の熾烈な走馬灯争いを期待したいものです!
さて本題に入りますが何せ1か月前のゼミのブログを書こうとしているため、正直言って記憶がメチャメチャ曖昧です。なので今回は本当に大事なところ(覚えているところ)だけ皆さんにお届けしたいと考えています。ちょっち短くなるカモなんですがヨロシコ!ってなカンジで宜しくお願いします!
※なお、この記事の執筆に際し、同期の村上氏と村上氏がゼミ中に書き留めていたメモに対して最大限の感謝とリスペクトを送りたいと思います。ダンケ!
今回のゼミ前編で精読したのは『異化としてのメディア』という論文で、メディアという『身体を拡張する道具』が知覚を刷新することによって異化作用が生じることが論じられていました。ここでいうメディアとは、新聞や雑誌、テレビやYouTubeだけでなく、『人間の身体機能を拡張するもの』という意味で、車や飛行機なども含んでいます。
例えば、映画『ベッドとソファ』では夫に従属的な立場を取っていた女性が、新聞やラジオ、飛行機、映画などのメディアに触れることで知覚がどんどん刷新され、意識まで変容していく姿が描かれています。
また面白いのは、メディアによって知覚が拡張した場合に起こる『逆転現象』です。例えば『ベッドとソファ』の場合、夫は「妻にもっと家事を頑張ってもらいたい!」「家事の合間に気分転換できればもっと家事をしてもらえる!」という思いから妻にラジオを与えますが、妻はラジオにのめり込んでしまい、結局家事が疎かになり、夫は自分で家事をしないといけなくなってしまったのです。これがメディアによって知覚が刷新された際に、本来の目的とは逆の方向にメディアが作用してしまう結果として起こる逆転現象です。実際、洗濯機が発明された際には「女性にもっと効率的に洗濯をやらせよう」という男性が嬉々として洗濯機を家庭に導入しましたが、結局「誰にでも洗濯ができる」という洗濯機の特性によって、逆に男性が洗濯をする機会が増えてしまったという話があります。
ゼミ後編では、「異化」をテーマにレイ・ブラッドベリの『華氏451度』を読み解きました。『華氏451度』は本を読むことも所持することも禁止された世界が舞台で、主人公のモンターグは本が見つかり次第出動し、本を家ごと燃やし尽くす「昇火士」として働いているものの、クラリスという少女との出会いをきっかけに本が禁止された世界を疑うようになっていくという物語です。本やクラリスによって異化されていく主人公の知覚が克明に描写されていて、今回のテーマにぴったりだと思いました。選書した村上さんに2度目のリスペクトを。
『華氏451度』の考察に関しては、7期生ゼミ史上最もアツい激論が交わされることとなりました。私と村上さんとで意見が対立したり、噛み合ったり、説得したりさせられたり、そして最後には先生も含めた三者の考察が綜合されたより高次の考察がされるに至り、ヘーゲルもにっこりの弁証法的な議論になったことには一種の感動を覚えました。その内容はメチャメチャネタバレなのでここでは書きませんが、ひとつの作品に対して少人数でここまで深く話し合う機会って他のゼミではできない経験だと思いました。みんなも内藤ゼミでヘーゲルをにっこりさせよう!
最後急に宣伝臭くなってしまいましたが、コレなぜかというと、最近他の情コミ生とゼミについて話す機会があって、その際に「徳村はどこのゼミに入ってるの?」と訊かれたので「俺はファッキン刺激的な内藤まりこゼミでファッキン忙しくしてるぜ」的なことを答えたら、「内藤ゼミ?えーそれってハズレゼミじゃない?」と言われて衝撃を受けたからなんですね。
えっ!?俺のゼミってハズレゼミ扱いだったの?
私はすぐさま反論し、当ゼミの素晴らしいところと辛いところを2:8くらいの割合で紹介した(※実際の比率です)のですが、まあこれは価値基準の違いに終始する話になってしまうのでその人には届かなかったすね。
確かにコスパの良さ、単位取得のためにかかる時間と労力の観点からみると、内藤ゼミはゼミもゼミの準備もメチャメチャ時間かかるのでハズレゼミと言わざるを得ないのかもしれませんが、もっと長い目で見て、そのゼミが自分のためになっているかどうか、という観点から考えてみると、私は内藤ゼミをあたりゼミだと思うことができます。
このゼミは文学批評のゼミなので、文学と向き合い続けるだけのゼミだと思われがち(私もそう思ってました)が、実際には意外と文学よりも世界・社会、そして自己と向き合うことの多いゼミだと私は感じています。なぜなら文学はいつも社会や世界、そして自己を映しているからなんですね。だから文学批評をするには社会や世界や他者や自己を読み解かないといけないんですよ、マジ大変ですよねコレ。でもそれは他のゼミではなかなかできないことなんじゃないでしょうか。内藤ゼミは決してハズレゼミではありません!ちょっと大変なだけです!ちょっと授業時間が長かったり(200分)、ちょっと隔週で論文をまとめてレジュメにして発表する課題があったり、ちょっと学期末に1万字の論文書いたりするだけです!そしてちょっと病むだけです!こわくないよー!ぜーんぜんこわくないよー!ぜーんぜんハズレじゃないよー!
という訳で最後にはゼミ試を受ける2年生向けてのブログになってしまいましたが、次からはしっかりと書けるように頑張ります。もう滞らせません。たぶん。2年生の方々のブログが凄い熱量なのでプレッシャーも感じつつですが、私は私でマイペースにやっていきたいと思います。
ではまた次回~。再见!