3年ゼミ 第7回

こんにちは。最近私が一人暮らししているアパートのベランダに通ってくる猫が、網戸に登って自分の訪問をアピールするため網戸がボロボロになり、ついに隙間から腕(前足?)を入れてくるようになったので、網戸を一人で張り替えることに奮闘して休日を使い切った山口です。猫と虫の侵入を防ぎたい。

さて、第7回の3限では、廣野由美子著『批評理論入門−「フランケンシュタイン」解剖講義』(中央出版)から「反復」「異化」について学習しました。4限ではヴィクトル・シクロフスキイ『手法としての芸術』について学習しました。

「反復」は同じモチーフや物語上の構造などを何度も登場させることにより、作品全体にテーマや雰囲気の統一感を与える修辞方法です。『フランケンシュタイン』では「死」「フランケンシュタインと怪物の出会い」などが反復されます。これに対し、
・同じモチーフを繰り返し登場させるのは、常に作者の意図か、それとも無意識か
・「異化」と対比して考えると、「反復」にはどんな効果が考えられるか
などの意見が出ました。

「異化」は事物から日常性をはぎ取り、新たな光を当てることです。『フランケンシュタイン』では、怪物の目を通して人間を子細に観察することによって、普段私たちが見慣れている人間の一般的な生活や行動が異化されています。

そしてシクロフスキイの『手法としての芸術』でも、「異化」について語られています。彼はそれを、芸術における、知覚の自動化作用(=慣れ)から事物を救出するための手段だと説明しました。同様に彼は「芸術の手法とは物事を<異化>し、形式を難解にして知覚を長引かせる手法」だと語り、物語が馬の視点から語られるトルストイの『ホルストメール』の一部を例示しています。これに対し、
・日常で体験した「異化」の例はどんなものがあるか
・シクロフスキイの言う「詩」と「散文」の違いは何か
・シクロフスキイの理論と、彼がこのテクストで批判したポテブニャーの理論の違いは何か
などについて議論しました。

小説で異化というと、サルトルの「嘔吐」を彷彿とさせますね。漫画で異化というと…昔の少女漫画「はみだしっ子」で、主人公のひとりが「こんなにたくさんいる人間が全員違うことを考えながら生きている」ことに気づいて「怖い」というシーンがあったことを思い出しました。この漫画、好きなんですよね…もし知っている人がいたらぜひ語り合いたい。私はアンジーが好きです。以上、山口でした。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中