3年ゼミ 第3回 『焦点化と語り』

はじめまして!この春より5期生として活動させていただく、山口明日香と申します。3年ゼミ春学期第3回目の活動は、前回に引き続き『批判理論入門-「フランケンシュタイン」解剖講義』から「3.語り手」と「4.焦点化」について、またジェラ―ル・ジュネット著『物語のディスクール』(1972)から、同じ焦点化について分析した章 「焦点化」(pp.222-227)を抜粋し扱いました。

今回中心になった議題は
1.焦点化の種類とその判別
2.「焦点化」と「語り」の違い
3.作者/含意された作者/語り手 とは何か、その違いはどんな点か
4.物語の「深み」と焦点化という表現
でした。

物語を語るとき、その物語言説(=テクスト)の視点はどこから・誰の視点なのか(=何を焦点としているのか)には色々な種類があり、それによってバラエティに富む文章表現が可能になることが分かりました。さらに、しばしば混同されやすい、ある物語言説がどんな焦点化を用いているのかという点と、誰が語っているのかという点の理解について話し合いました。また、以下のような疑問・意見が出されました。

・語りに偏りがない、神様のような「全知の語り手」は本当に存在できるのか
・ジュネットの文学理論は全体として近代以降の小説に焦点を当てて作られており、それ以前の小説や物語にはこの枠組みや区別は当てはまらないものがあるのではないか
・どの焦点化を選ぶことが、物語言説にどのような印象を持たせるのか
・外的語り手と焦点化ゼロは一致すると考えてよいのか

今回からぐっと批評理論の理解が本格化し、議論が混迷する場面も見受けられましたが、様々な意見が途切れることなく提案され、活発な内容となったと思います。二回目ということでゼミ生それぞれの個性も段々と発揮されてきました。次回もより興味深い議論ができるように頑張りたいと思います!

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