今回の担当は増尾です。
5/30に行われた第7回では
3限は廣野由美子著『批評理論入門-「フランケンシュタイン」解剖講義-』(中公新書)「反復」「異化」
4限ではヴィクトル・シクロフスキー『手法としての芸術』を用いての講義となりました。
まず3限は増尾が担当。
「反復」とは修辞技法のひとつで、強調をもたらす。
というのが大前提。
人々に気づき、危機を感じてもらい、日常には刺激をあたえるものだということを知りました。
「どんな場面で反復を感じる?」という先生からの問いかけで、3人でしりとりのような形で「反復」の事象をあげていきました。
生と死、親子関係という大きなものから、通勤、父親が週末にかける掃除機という身近なものまで様々でした。
では、反復された結果としてどうなるか。
最初はもちろん強調され、それが繰り返されることで日常化し、意識されなくなっていく(自動化)
反復というのは突き詰めたら強調だけではないのだ と知りました。
また、あること(言葉だけではなく事象でもよい)が繰り返されることによって構造が生み出されるとのことでした。これにより構造主義、ロシア フォルマリズム的な考え方とつながるということに驚きました。
「異化」は日常の事象を非日常的なものとして表現すること。
比喩とは違います。石を例に説明すると、
比喩:石と何かを結びつける ことに対し、異化:石という概念をはぎとってよく分からない固形物にする ということなのです。
情報の多い比喩とは違い、まっさらなものを提示するものが異化だと言うこと。
うまく説明出来ていない気がします……。自分では納得してるのです……が……。
4限は大下が担当。
イメージには思考のための実用的手段、印象を強める詩的なものの二つがあり、それらの目的は私たちの理解をたやすくすることではなく、対象物に対する独自の知覚を生み出すこと。
ということでした。
イメージというとわかりやすくするためにあるという印象だったので衝撃的でした……。
芸術の目的はそれを認めることのレベルではなく見ることのレベルで事物を感じとらせることにあり、その手法とは事物を〈異化〉するものであり形式を難解にして知覚をより困難にしより長引かせる手法
ということも書いてあり、自分が芸術を理解し難い、読み解けない理由がわかった気がしました……(笑)
でも負けない……!!
「現実にあるものを異化して考えさせるようなものが芸術」という定義について、果たしてこれがあてはまっているか、この定義だけが芸術がなんたるかのすべてを言い切っているのか という意見を元に議論を進めていきました。
今後新しい考えが生まれてくる。そしてそれを私たちが判断するんだ というところまで話して時間がきてしまいました。
芸術的な話を読み解くことはとても大変でしたが、3限との関連もあり、なんとか議論まで辿り着けたのではないかと思います。
復習ちゃんとしないと……またこんがらがってしまう……。
7回目ということで早くも次回で折り返しです!!
まだまだ頑張らなければ……!!
増尾