春学期第4回 3年ゼミ

遅くなりました、大下が担当します。
5月9日の第4回ゼミでは、まず内藤先生から神保町シアターの上映作品についてご紹介いただきました。
御茶ノ水、神保町に腰を据えて勉学に励むもの、その地を知らずして何になるとお言葉をいただき、まずは散歩に励まねばと反省した次第です。

3限では『批評理論入門』第1部5「提示と叙述」、「時間」について議論しました。
レジュメはこちらです。

第4回 「提示と叙述」「時間」

提示とは登場人物の会話など、あるがまま示された状態のもの、叙述とは語り手の解説や要約などのこととざっくり理解し、『フランケンシュタイン』にてなぜヴィクターの怪物創造シーンは詳しく描かれないのかを考えました。廣野氏の分析では、「正常さを備えた語り手が、感情をこめつつ要約しているからこそ、彼(ヴィクター)に対する共感を保ちながら、最後まで物語を読み続けることができる」(一部省略)と書いてありましたが、そうは言っても現状、読み手はヴィクターに共感し続けられてはいないのでないでしょうか。怪物を作る場面を描かないからといってヴィクターに共感できるわけでもなければ、仮に克明に描かれていたとしても、どのみち私たちは変わらずヴィクターを無責任な創造主とみなすことに変わりありませんし、幸せなヴィクターが描かれていることにいっそうの不信感を覚えたりすることもないはずです。
この問いには、ローレンス・スターンの「トリストラム・シャンディー」を例に挙げて議論されました。

時間については、4限との関連性も高く、お互いの調査結果を持ち寄って理解を深めることになりました。
錯時法、後説法、先説法、省略法、要約法、情景法……。ひと通りそれぞれの方法の理解を深めた後、3匹のこぶたでこの時間の技法をできる限り使用し、プロットを作成することになりました。

見づらいですが、ざっとこんな感じでした。

4限ではジェラール・ジュネット『物語のディスクール』における「時間」の話題について議論しました。
3限とほぼ同内容であるため、さらなる議論の場となりました。物語の内容と言説が常に一定の長さを保つとはどういうことなのか、休止法とはどんなものかをより詳しくなどが主な議題です。休止法に関してはかなり悩みましたが、時間の速度はゼロなのに言説は無限に広がるという状態は、出来事自体を止め、それを詳視するのではなく、止まったそのものを描写するのだということに落ち着きました。しかし、止まったものの描写をするにしても、そのものの過去を語ってしまったりすれば、それは完全に休止しているとは言い難くなります。そういった面で、完全な休止法というものは極めて少ないと考えるべきだとなりました。

だいぶ記憶があやふやですが、簡単に授業報告とさせていただきます。

大下由佳

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