秋学期第8回ゼミ

こんにちは。
今回は第8回の授業のブログです。
担当は提中です。

今回の授業では、いつものようにテキストを読み、疑問点などを議論により解決するという形式ではなく、前回の授業を発展させて、田山花袋『蒲団』と中島京子『FUTON』について各自分析を行い、発表をしました。
ゼミ内容の紹介の前に、まずは、前回も取り扱った田山花袋の『蒲団』のあらすじの復習と、中島京子さんによる『FUTON』のあらすじを簡単に紹介したいと思います。

『蒲団』のあらすじ
妻と三人の子供のある中年の作家、竹中時雄のもとに、横山芳子というハイカラな女学生が弟子入りを志願し、手紙のやり取りの末、二人は師弟関係を結ぶ。その後、芳子の恋人である田中も芳子を追って上京してくる。時雄は芳子と田中の仲を監視するために自らの家の二階に芳子を住まわせる。しかし、芳子と田中の関係は時雄の想像以上に進んでおり、怒った時雄は芳子を田舎の父のもとに帰らせる。時雄は芳子の使っていた蒲団に顔を埋めて泣く。

中島京子『FUTON』あらすじ
中年の日本文学研究家のデイブ・マッコーリーと日系女学生エミは恋人同士であるが、奔放な女性であるエミには、他にも日本人のボーイフレンドのユウキがいる。エミはユウキを追って日本に行き、音信不通になる。デイブは日本で開催される学会にかこつけてエミを探しに日本に行く。デイブはエミをエミの祖父のサンドウィッチ店「ラブウェイ・鶉町店」で待ち伏せするうちに、画家の女性・イズミと出会う。イズミはエミの曽祖父・ウメキチを介護しつつ、ウメキチの体験を絵にしようと試みていた。この物語は、デイブが書いた『蒲団』の“打ち直し”(『蒲団』では殆ど語られなかった時雄の妻の視点から書きなおした話)と共に進んでいきます。

中島京子さんの『FUTON』は、田山花袋の『蒲団』をベースに、現代風の物語に再構築されています。今回のゼミでは『蒲団』と『FUTON』の二つの物語を比較しつつ、分析を行いました。

まず、全員が着目したのが、『蒲団』と『FUTON』の登場人物たちの関係性です。
『FUTON』のデイブ・エミ・ユウキの三角関係は、『蒲団』における時雄・芳子・田中の関係をパロディしています。また、ウメキチ・ツタ子(戦時中ウメキチが思いを寄せていた女性)・キクゾウ(ツタ子の恋人)の関係、そして、ウメキチ・イズミ・ハナエ(イズミの恋人であるレズビアンの女性)の三人の関係も同様です。
このような三角関係から登場人物を比較してみた結果、最も多くの関心が集まったのは芳子とエミでした。二人はお互い奔放な女性として描かれています。二人は似通った部分もありつつ、対比される部分もあります。芳子は、能力はありますが、恋人との関係が原因で田舎に戻され、小説家になるという夢を閉ざされます。対して、エミは、能力はないが、恋人(ユウキ)との関係を利用し、日本に行く機会を手にいれ、以前の恋人(デイブ)も利用し、日本への留学の推薦を手に入れます。
「女性であるがゆえに」能力を発揮できないままチャンスを逃す芳子。
「女性であることを利用して」成功のチャンスを掴んでいくエミ。
この二人の対比から、芳子のように失敗しないだけでなく、女であることを利用し、また男性を利用していくエミは、女性をミューズとして扱ってきたことへの批判なのではないか、という分析が行われました。
また、エミやイズミ、ハナエ、美穂といった、『FUTON』に登場する女性たちは皆、次の段階へとステップアップ(成長)をしていきます。一方男性登場人物には、大きな成長は見られません。これは、男性が成長し、女性は成長しない存在として描かれてきた近代文学への批判なのではないかという意見もありました。
さらに、私たちは、エミのように、女性が、女性であることを利用してステップアップしていくことに嫌悪感を抱きがちです。しかし、男性も単純に能力だけで成長しているのかと言われると、必ずしもそうとは言えません。男性には、ホモソーシャル、つまり、女性が入っていくことが出来ない男性同士の付き合いがあり、そういった関係を利用して地位や名声を得ていきます。ステップアップするために必要なのは単純な能力だけではない、という点は女性も男性も同様であるにも関わらず、何故女性だけが嫌悪感を抱かれるのか。ここにはジェンダーの問題もあるのではないかということが議論になりました。

『FUTON』では、上記のようなジェンダーの問題が描かれるだけではなく、アメリカと日本を脱構築が行われているのではないかという分析も行われました。
『FUTON』では、物語の終盤で、9.11(アメリカ同時多発テロ事件)が描かれます。
戦勝国のアメリカと負けた日本。アメリカ=強い、というイメージが、9.11が描かれることによって壊されることで、脱構築が行われています。こういった部分や、作中に度々登場するウメキチの戦時中の回想などから、『FUTON』は戦争文学として読み取ることも可能なのではないか、という意見もありました。

今回のゼミでは2限に渡って、『蒲団』と『FUTON』の分析を行ったのですが、議論すればするほど、着目すべき点、さらに分析できそうな点が見つかりました。人によって、分析した意見や視点が異なり、とても興味深く、3時間があっという間に終わってしまいました。上に書いたのは一部で、全て書くことが出来ないのが残念です。
今回の分析対象は『蒲団』と『FUTON』でしたが、また実際に個別で作品分析をやってみようということになりました。次は夏目漱石の『こころ』を分析する予定になっています。ブログにも記事にしますので、その時は是非一読頂けると幸いです。長々とした文章になってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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