秋学期第6回ゼミ

こんにちは。今回のブログ担当の相田です。

第6回のテーマは「ジェンダー批評」について深めていきました。

今回の題材は田山花袋の『蒲団』と生駒夏美の論文、『田山花袋『蒲団』にみる日本の近代化とジェンダー』です。

 

まず初めに、明治時代の文学の変革に関して、論文では述べられています。製本技術の進化で作品が大量に複製できることによる読者の距離の変化と、西洋文化の導入により生じた言文一致運動によって手本とされた「第三人称のリアリズム」の出現により、日本近代の文学作品は大きく変化することになります。その象徴が田山花袋の『蒲団』を先駆者とする「私小説」というジャンルの出現になります。

 

また、その後、近代文学が明治時代の社会にどのような影響を与えたのかを論じています。日本国を西洋諸国に追いつかせるため、近代的思想を新たに知識層の仲間入りを果たした一般大衆に伝える手段として、近代文学はいい手段となり得ました。

 

その後、論は田山花袋の『蒲団』へ移ります。

ここでは、『蒲団』に登場する女学生、芳子についての考察がなされています。作中でハイカラな女学生として描かれた芳子は、近代日本社会の女性の象徴であり、時雄に代表される旧時代的な男性があこがれる存在として描かれている。

そして、芳子が地元に戻される結末は、芳子が師であり近代化へ導こうとした男性である時雄を裏切った罰であり、そこからは男性知識階級が自らの特権性や優越性を独占しようとする意志が窺えるとしている。

 

また、『蒲団』は告白文学として「抑圧によって存在した性」を初めて描いた作品でもある。これまでの告白文学で描かれた虚構の「性」ではなく、「私小説」という形式により「外面」を描くことで可能になる「内面」を描き出すことに成功し、田山花袋は『蒲団』を、自身を確立することが可能になったのである。

 

私小説という汎用性の高い小説の形態の登場により、自然主義近代作家である田山は焦りを生じていた。それは『蒲団』の中の時雄が芳子の恋人である田中への焦りとしても描かれている。それが芳子に対してではないのが、女性作家があくまで男性作家に支えられたものでしかないという考えによるものであるとしている。

 

まとめとしては、私小説という作品の登場により、「内面」と「外面」という考えが生じ、他者と自分を分ける西洋的思想が日本に広まることとなった。そして、その思想を広めていったのは田山花袋をはじめとする男性近代作家であり、そこには女性近代作家を抑圧する動きが存在していたことが窺えたのであった。

 

 

さて、次回はこの議論を踏まえたうえで中島京子の『FUTON』、田山花袋の『蒲団』の批評を実際にやってみるという一大イベントになります。各々がどのように解釈するのか、非常に楽しみですね!!

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